2005/05/11 (水)
★クジラ死ぬ、千葉・富山町の沖で
さて、不老不死の淫魔ということを知らずに見ている人も多いんだろうなぁ、と思うユリです。ユリについて詳しく知りたい人は、「本家」とかエルフィックスさんの新着をチェックしたりしてみてくださいねぇ。全然さりげなくなく宣伝です。
センセがさっさと続きを出してくれないので、本当ならゲストで呼んでもいい人がちっとも呼べなくて寂しい思いをしながら、今日のニュースです。
あー、クジラならいろんなところで毎日死んでいるような気もするんですけどね。人間というのは、特定の種族とか個体に、妙に強い思い入れを抱くものなんだなぁと思います。食べるために魚をたくさん捕まえて殺してしまう網に、大きい獲物がかかってそれが死んでいただけなんですけどね。
別にその感情を否定する気はありませんし、むしろユリは人間じゃないゆえにその感情を理解しようと努力しているつもりなんですけど、いまいちすんなり納得できないんです。人間以外の種族にも、命の重さのランクがあるというルールが、まさしく字義通りの不文律としてあるんだな、ということぐらいは実感していますけど、それが共通認識の前提としてある現状が、多様化してしまっている今の認識にいつまで当てはまり続けるのだろうか、という疑問もあります。
宗教を治世と分離することを定めた現代社会で、こうした不文律を効率的に波及させるすべを、今後模索する必要があると思います。動物の命がみな平等と考えれば、犬やネコの愛玩動物を惨殺する人間は増えていく一方でしょうし、同様にひとの命は平等だと口にしつつ、日本と別の国を見比べて欺瞞を知って衝撃を受ける純真な子供たちへのケアも、考えておくべきなのではないかと思います。
記事に立ち戻って言いたいことを言えば、クジラに合掌するのなら、同時に数知れない魚たちにも合掌してあげてください。いただきます、の合掌は、自分を生かすために命を落としたものためへの祈りだと思って、いつでも食事の前の合掌は欠かさないでいてほしいと思います。
|