2003/01/06 (月)
★32歳の母、小5の娘と飛び降り無理心中 東京・足立区(朝日)
さて、新年になりつつもさりげなくサボり続けていたユリです。これで毎日更新を目指すなんて片腹どころか両腹が痛いですけど、あまり気にしないでいきましょう。マイペースでいくことが、長生きの秘訣ですよ。ユリほど長生きは出来ませんけどね。
では、今日のニュースは、復帰一日目ということで軽いテーマのものを。無理心中だそうです。
小学五年生の娘を道連れに、母親がマンションの7階から飛び降りたようですね。五年生にもなれば、それなりに自己的な判断能力も身についていると思いますので、同意の上の心中なのかどうかが、気にかかる点です。
人間は、つい「死ねば全て終わりだから、死ねば罪は償える」と思いがちのようです。安易な無理心中は、「自分も死ぬから、もしこの人が望んでいなくて私が殺人を犯したということになったとしても問題はない」という考え方が根幹にあるような気がしてなりません。
犯人だろうと関係者であろうと、ひとりの人間が死ぬだけで罪があがなえると思うのは傲慢のような気がします。もちろん、死んだら償いようがないのも事実です。でもそれは、逆に絶対に償うことの出来なくなった重い罪を背負ったことになるんです。
たしかに、死者にムチを打つことはあまりよいことではないかもしれません。でも、死ぬことによって全てを清算できるというような考え方は、ユリは受け入れたくないのです。どんな些細なものだとしても、生き続けた痕跡はこの世界に刻み込まれています。一瞬で消え去るものではないはずです。
ユリは自殺を全面的に否定するつもりはありません。でも、無理心中は否定します。完全に同意しての複数の同時自殺ならともかく、無理心中は殺人なんですから。もし説き伏せて同意させたとしても、自殺を強く勧めることは殺人と似たようなものです。
自殺するぐらいの気持ちがあればなんでもできる、とはよく言われる言葉です。ユリはこの言葉自体は「そうとも言い切れない部分がある」と思っていますけど、今回の事件においては「自分を殺すほどの決意があったのなら、その思いをどうにか『娘を生かし続ける』方向にもっていけなかったのか」と思いました。ちなみに、自殺に対して「勇気」という言葉は使ってはいけないと思っています。
詳しい事実関係が明らかになるかどうかは不明ですけど、とにかくこの母親は罪人であるということだけは、みなさんにも感じてほしいなとユリは思うのです。
というわけで、新春ということで比較的明るい話題でお送りしてみました。本年も、篠沢ユリとこの「ゆり☆にゅーす」を、宜しくお願いいたします。
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