2001/10/19 (金)
●時効の女児死亡事件の被告、民事で親に土下座(Yahooなど)
さて、最近うっかり自分が社会派なんじゃないかと勘違いしているユリです。オタク系ニュースサイトはひしめき合って定員オーバーだったために、安易に一般ニュースを取り上げる決心をしただけのことなんですけどね。それでも偏っているあたりがご愛敬です。
というわけで、今日も偏ったニュースを紹介させていただきましょう。とはいっても、さすがのユリでもこの話はつっこみにくいです。みなさんもぜひニュースタイトルをクリックして、全文読んで見てください。
……読み終わりましたか?
「時効」という制度があります。一般的な解釈は、「それだけの年月を逃げ、怯え、隠れて生きていたのならば、すでに相応の罰を受けたと考えてもよい」ということだったと思います。でもそれは、たとえ単なる建て前だったとしても、おかしいと思うべきです。 なぜ被害者の遺族も、同じだけの罰を受けなければならないのでしょうか。幼い娘を殺され、ずっと犯人のわからないまま生きてきた家族の気持ちは、少なくとも、土下座やお金では埋めることはできないと思います。
別にユリは、時効制度に反発しているのではありません。時効制度をなくすのは、現実問題として不可能です。ただ、法律などというものは、人間があとから作ったものです。感情や思いを、縛れるものではないと思います。
ユリは淫魔です。厳密には人間ではありません。それでも、犯人の口にした「人間として最低のことをしてしまいました」という言葉が引っかかります。 ユリはプロフィールにも書いた通り、「デビルマン」というマンガが好きです。特に好きなシーンがあります。人間に対して拷問を繰り返し、多くの命を奪った「人間」に、主人公のデビルマンが叫ぶのです。「地獄へおちろ 人間ども!」と。
人間だってケダモノの一種ですし、今現在でさえ戦争が行われています。それでも人間は、「人間」という理性的な存在を信じ、平和を望みます。やっていることも願っていることも、ずっと昔から変わっていません。それがつまり、「人間」です。 殺される痛みと、殺したい感情。そのどちらも法律より昔からあって、おそらく法律よりも長く続くでしょう。そんなあきらめにも似た思いに、被害者の父親の言葉が響きます。 「本当に反省していたなら、時効成立前に自首してほしかった」 加害者と被害者、感情と法律、罪と罰。記事としては単なる民事裁判の顛末でしたが、ユリにとっては戦争よりも考えさせられる事件でした。
ちなみに、今日のニュースについてはどんなレスポンスも受け付けません。ユリも勢いで書いてしまいました。
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