ゆり☆にゅーす

  さーど

Counter
サーチ:
キーワード:
Amazon.co.jpアソシエイト
  2003/04 
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
27282930   

2003/04/02 (水)

篠沢ユリ、生き返って参りました(ゆり☆にゅーす mk-II)

 さて、なんとか黄泉平良坂から這いあがってきたユリです。黄泉の国では、さすがに死者の国なだけあって赤と青のキョンシーがいたり、ガイコツが矢を打ってきたり、女の子が髪をわさわささせながらさまよってたり、ニンジンが重くてたくさん持てないのですぐ足りなくなったりしました。鷹の姿になったナンモはまだ役立たずでしたしねぇ。LUKも上げたほうがいいんでしょうか。
 そんなわけで、mk-IIです。ひーとはーこぼれたーすーなよー♪、せい、まーくつー。「マークツー」って言えよゴラァ! Say しょうなごーん、Say なんせんそー、Say いたいしょーぐーん、前方後円墳、田中角栄。
 ……ちょっと脳が腐っているみたいなので、今日はこのくらいにして、明日からまたがんばろうと思います。あ、ちなみにページタイトルはそのうち元に戻しますので、リンクを張って頂いている方々は、慌てて変更されないように。

そしてさりげなく、再開です。

Q.2781 ネプ石○?
 ミニスカートで柔道をしてはいけません。
Q.2782 crankyの新曲やった人いる?
 「新曲だった」が訛っているかと思いました。
Q.2783 出さなかったのかな?
 しっかり、中です。
Q.2784 早くした方が良いかも?
 それよりもリズムが大切なんです。
Q.2785 進展あった?
 あたたたたたたたたたたたたたたたたた。
Q.2786 女でありながらフィーネの乳に萌えている私は変ですか?
 大きくなり過ぎですよ、あれ。
Q.2787 B5でもそうでしょ?
 B29でもそうです。
Q.2788 鮭?
 シャケ? サケ?
Q.2789 見た目?
 見てない目は節穴と言います。
Q.2790 割と知られてるの?
 割にあわないんですけどね。


2003/04/01 (火)

当サイト管理人、篠沢ユリのご冥福をお祈りいたします(坂下信明)

 へろーへろー、知っている人は知っている、知らない人は知らないって当たり前だろんなことは! の坂下のぶりんちんでありんす。ユリが推定享年10000歳で急死しやがったんで、急遽坂下がでばって参りましたですよ。死亡説のあった坂下が! 笑止で腹がよじれますなぁ。
 ひとであろーが淫魔なんて都合のいい設定であろーが、しょせん生き物はいつかは死ぬっつーことで、ま、湿っぽい場面で湿っぽい話をするのも当たり前すぎるんで、ここは個人の流儀にならったりなんかしちくゃって、明るい話題でも引っ張ってくることにしやすですよ。えーと、適当にニュースサイトの社会面を開いて、と。

 ちょい古いけど、こんなのはどーでせうか。

小5女児を連れまわした疑い、男性高校教諭を逮捕 長崎 (朝日) 

 「女児にケガはなかった」という文面から、処女膜破って血が出れば傷害罪じゃないのかとか犯人のちんちんはそんなにちいさかったのかとか「連れまわした」とは実は「連れ、輪姦した」じゃないのかとか、いろいろ読み取れますなぁ。
 建設的な妄想はさておき、犯人は小学校教諭ではなく高校教諭とのこと。んまぁ、きょうびの女子高生を見てれば、小学生を拉致りたくなる気持ちもわからなくはないっすね。というか、坂下には女子高生をどうこうしたいという気持ちの方がわからないんすが。

 女は毛が生えたら終わりなんです。偉い人にはそれがわからんのです。

 幼女の美しさ、そして神性とは、「生まれたもの」としての赤子と「生むもの」としての母親、その二つの明確なる役割を与えられた存在の狭間にたゆたうものとしての不安定さが生み出すものであると、坂下は考えるわけであります! 古来より、幼女はあやかしの類が好む姿でありました。それこそ、幼女が黄泉からの使者であることの証なのです。生と死ををつなぐと言われている黄泉平良坂(よもつひらさか)こそ、幼女の存在に相応しいのです。
 幼女の瞳は何を見ているのか? 何者をも庇護することを欲してしまうその蠱惑的な瞳は? 感情と理知の入り交じった、一貫していない気ままな振る舞いに、我々は平服せざるを得ないのです。
 嗚呼! なにも知らないような顔をしていたはずなのに、どうして急なにかも知っているような笑みを浮かべるのか。庇護がなければ生きられない弱い存在のはずなのに、どうしてこの心を千々に乱させるのか。嗚呼!
 まぐわうべからず存在との禁断の夢想は、腐敗した果実の薫りを漂わせながらこの身を誘(いざな)ってゆく。肉欲と愛欲が分離できないまま、受け入れる準備の整わない存在へと押し寄せてゆく。そこには言語のようなコミュニケーションではなく、迷妄するエゴだけしかない。
 しかし、このエゴという名のベクトルは幻想ではないのです! エゴであろうと悪意であろうと、存在する衝動を否定するだけでは何の解決も生み出しません。向き合う必要があるのです! その衝動の存在を認めつつ、それから理性で判断することこそ、今の我々に必要な姿勢なのです。
 妄想で欲望を満たしつつ、現実世界でなにを為し、なにを為してはいけないのかを考えていくことこそ、ありのままの自分を受け入れつつ現実世界で生きていく道であると、わたしは信ずるのであります!

 異常!! もとい、以上!!


2003/03/28 (金)

非嫡出子の法定相続規定、最高裁が僅差で「合憲」維持 (朝日)

 さて、戸籍を持たないユリです。更に相続するような財産もありません。そんなユリには関係のないニュースです。

 結婚している二人の間に生まれた子供と、法律上結婚していない二人の間に生まれた子供と、相続についての規定が問題になっていました。結婚していない二人の間の子供は、結婚している二人の間の子に対して半分しか相続できないということが、憲法所における「平等」に反しているのではないか、という問題です。
 とりあえず今回の判決では、僅差ながら「半分しかなくても違憲ではない」となったようです。

 えーっと、ユリはかねがね不思議に思っていたんですけど。
 「平等」自体に論理的なツッコミを入れてしまうと「ありえない」という結論になることは今更繰り返すまでもありませんけど、少なくとも「なにかをした者」と「なにもしていない者」への対処が違ってくることは極めて「平等的」な配慮であると思います。したことを評価しないのは、徹底した共産主義的な考え方です。今の日本では、「働いたものが優遇される」のが当たり前であって、むしろ遺言書などの措置がなくても半分を規定している法律は保護措置とも呼べるものだと思います。

 それに、法律上の正式な子供に対して優位性を持たせないというのは、法律が進んで結婚制度の形骸化を宣言しているようなもので、だったら夫婦は他人なので相続権はなくなるのかという問題にも発展するような気がします。
 もちろんこれは極論で、本旨としては内縁の夫婦などの現状を与した世論の流れにしたがっていっているのだと思います。でも、ただでさえ扶養控除などの優位性が失われつつある結婚制度です。婚姻届のない「事実上の夫婦」という形式が増えていくであろうことは、容易に想像できます。確かに、結婚する側からしてみれば、それは妥当な選択かもしれません。ただ、ユリは生まれてくる子供が気になります。離婚によって犠牲になるのは、いつも子供です。結婚制度の崩壊が、子供の環境に大きな影響を及ぼしていくのは確かだと思います。

 結婚というものは、愛し合うふたりがするものではありますけど、むしろ生まれてくる子供のためにするべきなのではないでしょうか。子供の成長していく環境を整えるのと同時に、子供の権利を保護するためにも、幸せな結婚をしてほしいとユリは思います。


2003/03/27 (木)

センセと会議中(ゆり☆にゅーす)

 さて、私事を書いて更新をごまかすユリです。
 概ね、方針は決まりました。「10000の質問」を再開させます。
 あれ? センセは関係ない話じゃないですか。

 ……だいじょうぶかなぁ。


2003/03/22 (土)

簡単に、戦争について(ゆり☆にゅーす)

 さて、「反戦」は「戦争」に対する「戦争」であることを認識すべきであり、その覚悟がなければ「戦争」を「滅ぼす」ことはできないと考えるユリです。本来ならこのサイトでは、そうした「ほとんどの人が言及していること」は触れないのが基本なんですけど、まぁ予想とおり掲示板の方で話題が出てしまっているので。掲示板でのレスは軽く返す代わりに、今回はこちらのページで簡単に所感を書いてみようかと思う次第です。

 国家間の戦争に対する議論において、ちっともすっきりとした答えが出ないのは、結局「個人」と「団体」という観念が入り乱れたまま論議されるからだと思います。そして特に難しいのは、人間は自分の意志で所属する「国家」を選ぶわけではないということでしょう。戦争をしたくない人、戦争をしたくてたまらない人、そんな個人の意志から遠いところで、戦争は起きます。
 国民の総意が国の意志、なんて甘っちょろいことを信じている人は、一度、あなた自身がたったひとつの細胞のために行動しているかどうかを省みてください。人間の集まりである「国家」は、すでに人間ではありません。国自身のために行動するものです。

 そして個人の世界に「ケンカ」がなくならないように、国家間に戦争がなくなることはないでしょう。逆を言えば、戦争のない社会が実現できるのだとすれば、犯罪のない社会ができるはずです。

 だからといって、ユリは戦争を「必要悪」として認めるべきだ、と言いたいわけではありません。脳天気に「戦争はやめるべきだ」としか言わない人間たちに、口にするだけで殺人や強盗がなくなるかと訊ねたいだけです。
 それに、軍隊の存在を黙認しておきながら、いざその組織が役目を果たそうとしたとたん抗議するというのは、覚醒剤の流通を認めておきながら常用者を糾弾することぐらい不思議です。もちろん、平時から軍備反対を唱える人たちもいますけど、にわかにわき上がる「反戦」の声がユリには不可解なのです。戦争自体に反対するのなら、全ての戦術兵器を否定するべきだと思います。とりあえず今回の戦争のみに反対、というスタンスならわかりますけどね。

 というわけで、最初の主張です。戦争反対を訴えるのなら、有事のみに発言するという甘えた根性では無意味です。常に、あらゆる武力行使に意義を唱え、行動するべきです。国家の武力行使に、「宣戦布告」するべきです。
 行動といっても、いろいろ方法はあると思います。偉大なる宗教家たちは、国に宗教を説いたりもしました。でも、それは効果は弱くて当たり前だと思います。国家に個人向けの宗教を解いても意味がないでしょうから。それなら、「国向けの宗教」で説法をするのが、一番安全で、そして確実な方法のような気がします。
 「国向けの宗教」で、現在一番有力なのが「資本主義」。
 そうです、もっとも効果的だと思われる反戦活動は、「金を動かすこと」だとユリは思うのです。似たような論旨で、「反戦論者は総理大臣や大統領になればよい」と言う人もいますけど、彼らは基本的に恣意に行動することは許されていません、独裁国家でなければ。しかし大金持ちの行動は自由です。扱う金額のケタが国家予算に近くなれば、国とすら対等に発言できるようになるでしょう。出したり奪ったりすることで、国民の利益を無視できない国家は要求を呑むでしょう。そしてこれは、もうお金という実弾の飛び交う「戦争」なのです。

 感情的に「力なきものたち」の主張が通ったらいいな、と考えてしまう人は多いと思います。でも、主張は多様に存在し、力の持たないものたちの主張が優先的に通るようになってしまえば、状況は紛糾するばかりです。だから、自分に主張があるのなら、力を身に付けるべきなのです。この国に住まう人たちなら、生まれた途端に飢えと闘うことで精一杯な人たちと違って、それが可能なはずですから。

 あいかわらず、建設的ではないお話になってしまいました。でも、ユリは本当にこう思うのです。守りたいものがあるのなら、強くなるべきだと、そう思うのです。


a-News 1.46

Last Update : 2013/01/01 00:28:32