2005/02/05 (土)
★「妻は家庭」は古い――反対が賛成超す…内閣府調査(読売)
さて、同じ人が何冊か落札するという、容易に予想のつく状況の取り扱いについて、全然考えていなかったユリです。送料の計算し直しは当たり前として、問題は「おまけ」です。種類がそんなにあるわけではないので……足りない分はデジタルの方で補って許していただくしかないかもです。
と、昨日も話したことだからみんななんのことか知ってるよね的話題で始まりましたけど、もちろん何の関連もない今日のニュースです。 これ、ユリ的には質問がクセもんだと思うんですよ、くだらないシャレが飛び出すぐらいに。ユリとしては、むしろこの質問と同時に、「母は家庭を守るべきか」とも訊いてほしかったです。 「母」という言葉は、「子供を持つ家庭の妻」とは似て非なる言葉だと思います。それは、「人妻」がえっちなキーワードとして使われることが多いことに対して、「人母」なんて言葉としても存在していないことからも明らかです。 もちろん、「母は家庭を守るべきか」と訊ねたところで、昔よりは「そうではない」という答えが増えているとは思います。現実問題として働かざるをえない母親もたくさんいるわけですから。でも「かくあるべし」というレベルでは、まだまだ母親には子供についていてほしいと考える人が多いんじゃないかとユリは思います。
「かくあるべし」という考え方は、ロールプレイに近いものだと思います。このキャラクターはこのように行動するべきだ、という規定に従うのがロールプレイです。妻としてあるべき姿、母としてあるべき姿、そのイメージが違ってくるなら、得られる答えもまた違ってくると思います。 個人を基本とした考え方が大勢になってきて、自分はあくまで自分だから、と考える人が増えてきました。でも、男だから、女だから、父として、母として、子供として、そして人間として、こうあるべきだと考えて自分を律していくのも必要なことなのではないでしょうか。つい現状を無条件で肯定してしまう、「自分はこうだからいいのだ」と考えがちな個人主義だと、自分の社会的役割からするべきことを考える人よりも「理想」という点が弱いとユリは思っています。
なんだかニュースとは微妙にずれた話になってしまいましたけど、ユリの社会的役割ってなんだろうと思いつつ、書いてみました。
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