2004/05/05 (水)
★「こどもの日」に思うこと(ゆり☆にゅーす)
さて、イベント日ぐらいは真面目に更新しようと思うユリです。いえ、毎日更新があるべき姿であるのはわかってるんですけどね。
むしろ、最近ちっともニュースを提供していない方が気にかかってもいたりします。そんなわけで、今日もニュースではなく、思っていることを。ただし、一応今日の日にちなんだお話にしてみます。
えーっと、最近「子ども」という表記をよく見かけることと思います。特に若い人などは、幼い頃からこの表記に慣らされていて、特に違和感も疑問も感じていないのではないでしょうか。
こうした単語の一部をひらがなにする表記というのは、新聞やテレビのニュースなどで「難読漢字である」という理由で行われる場合が多いです。「虞犯→ぐ犯」のような形ですね。でも、「子供→子ども」の場合は、特に難しく読みにくい漢字であるというわけではありません。ではどうして、こうした表記が使われるようになったのでしょうか。
詳しい話については、「“差別用語”と呼ばないで」さんのえっ!「子供」って差別表現だったの!? のページ、さらに発展して「はれぶた」の作者のサイト、「矢玉四郎はれぶたのぶたごや」さんの子ども教の信者は目をさましましょうのページを参照していただければいいんですけど、さすがにそれだけでは手抜きのようなので、簡単に説明しておきます。
一言で言えば、「『供』という文字はお供え物に通じたり、大人のお供に通じたりするのでダメ」などという奇天烈な感情論から来ているのです。そしてこの意見を言っている人たちは、さも子供たちの人権に配慮しているかのような顔で胸を張り、口うるさく「子ども」への書き換えを強要するために、結果面倒を避けたい出版社や作家たちも追随する形で「子ども」表記を採択するようになってしまいました。
でも、これって、やっぱりヘンだと思います。漢字のイメージで表記を修正していったら、キリがないからです。例えば「びょう人」とか書かなければならなくなります。読みにくいだけです。まだ、全部をひらがなで書いた方がマシでしょう。
この表記の問題については、数多くある差別用語問題と同じく、すぐに解決する問題であるとは思っていません。ただ、この問題について、ユリが思うことは二つ、あります。
一つは、是非この問題について、当の子供たちを交えて論議してほしいと思うことです。「人権に配慮した」と言うくせに、その当事者を蚊帳の外に置いて語るのは「片手落ち」ですから。そこで果たして、子供と書かれて人権を侵害されたと感じる子供がいるのかどうか、ユリには気になります。
そしてもう一つは、肚が立ったのでユリは絶対に「子供」という表記を使い続ける、ということです。納得できるだけの材料が全然ない状態で、人に特定の表記を強要する姿勢には全くもって頷けません。まぁ、この宣言については過去にも書いているんですけどね。
というわけで、今日は「こどもの日」にちなんで、「子ども」表記問題について触れてみました。意外に知られていない話だったのではないでしょうか。知らないままで一部の人に決められてしまうよりも、なるべく多くの人に考えて欲しい問題だと、ユリは思います。
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