2008/01/06 (日)
★地球環境「病んでいる」76% 本社世論調査
さて、あけましておめでとうございます、ユリです。
正月ボケの方々が現実を思い出すタイミングで「あけまして〜」もないもんだとは思いますけど、ある意味今回が仕事初めだと思えば違和感はないんじゃないかという気になります。個人的にそう思い込もうとしているだけかもしれませんけどね。
年明け一発目なのですから、本来なら「今年の抱負」みたいな話もした方がそれらしいとは思いますけど、「今年は特になにも考えてないなぁ」というのが正直なところなので、グダグダな前フリはそろそろ切り上げて、今日のニュースにいってみましょう。
「病んでいる」の表現にどうにも引っ掛かりを覚えてしまう、そんな調査結果です。「地球環境」という抽象的な言葉に対して「健康状態」という概念で測ろうとする姿勢に疑問を覚えます。どんな状態でも地球環境は地球環境でしょうし、どう変わっていったとしてもそれはただの「変化」で、「悪化」も「良好」もないはずです。あるとすれば、それはあくまで「人間にとって」という意味合いしかないでしょう。
「人間にとっての」地球と環境を論じるのは大切なことですし、必要なことだと思います。でもそれを、地球そのものの問題として論じることは、地球を私物化しているようなものだと思います。環境が激変して人類が激減したところで、新しい環境に適応した生き物が増えて生態系が新しいバランスをとるだけだと思いますし。
ではどうして、こういったトピックではすぐに「地球そのものの話題として」環境問題を取り上げるのか、少し考えてみました。そこでユリが思いついたのが「現実感の希薄性」です。
都市部に住む人間が、森林伐採による二酸化炭素の増加について現実感を持つことは難しいでしょう。森林区域に住む人でも、アマゾンの密林現象を実感しているわけではないと思います。つまり、問題は世界のいろんなところで、いろんなふうに進行しているために、それを実感することが難しいのです。ましてや、たいていの環境問題が明確に目に見えるものではないので、問題区域に住んでいたとしても目の当たりにすることができません。そうした問題を自覚させるために、文明人なら誰でも知っている「地球」という問題に置き換えているんじゃないかと思いました。局地的な話にしてしまうと、そこにいる人間以外は「他人事」だと感じるでしょうから、みんなに等しく危機感を与えるためには「地球」という概念は便利なんでしょうね。それに局地的な話題にしてしまうと、逆に温暖化で住みやすくなる地域もあるわけですし。
そんなひねくれた見地で調査結果を見直してみると、「地球」そのものの問題っぽく感じさせる策略はある程度成功しているものの、まだ直接的に行動を起こそうと思うほどの現実感は与えられていないようです。やっぱり、はっきりとした人類環境悪化の実感がわかない限りは、個人の環境対策は難しいところなのでしょう。
いろいろ話をこね繰り回してみたものの、結論が至極普通のものになってしまいました。ただ、個人の意識に期待できることはタカがしれていて、いきなり割高のエコ商品を買うようになったり手間かけてリサイクルなんてするようにはならないわけですから、どこかしらに政府などの介入が必要になってくる気がしています。最近始まったポリ袋の件については、とりあえずの一歩前進だと思いますしね。調査結果の最後にある「環境税」というものも含めて、これらの政策の最大の課題は「企業」だと思いますので、そのあたりをうまくやれるようになるといいなぁ、と思う他人事のようなユリでした。
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