ゆり☆にゅーす

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2013/01/01 (火)

あけましておめでとうございます

 さて、ユリです。

 色々言われていた2012年も無事に終わり、2013年が始まろうとしています。実は2013年以降にも滅亡予言はたくさん存在するのですけど、日本人は五島勉に予防接種してもらっているので平気だと思います。
 むしろ滅亡の危機はこのサイトだったんじゃないかという気もしますけど、絶滅よりも絶滅危惧種、廃刊よりも休刊、倒産よりは休眠を選びつつ何気ない顔して続いていく予定です。元来、小説の「さきゅばす☆ユリ」が完結するまでの期間限定サイトだったはずなんですけどね。そっちが終わらない限りはゾンビのように徘徊するしかないわけで。

 ゾンビと言えば「さんかれあ」。録画したままのアニメを少しずつ消化しているのですけど、面白かったです。コアなゾンビ萌え層以外にも、貧乳キャラ的な「負い目萌え」層にも訴求できていると思ったんですけど、放映当時もさほど盛り上がっていなかったような気がします。作者のはっとりみつるといえば「おとぎのまちのれな」の印象が強かったので、思っていたよりはお色気シーンが少なく感じましたけど、原作だと多少違のかもしれないですね。
 ちなみにユリはそれなりのゾンビ萌えなんですけど、某ゾンビですか?の方には全然興味がありませんでしたので話題を振られても答えようがなかったりします。そこそこのクトゥルー萌えでも某ニャル子さんには興味惹かれませんでしたしね。心の琴線って結構気まぐれで難しい一面がありますよね。前評判では全然気にならなかった「未来日記」も、見てみたらかなり夢中になって観てましたし。

 とまぁこんな感じで、まずは2012年のアニメを振り返ってみました。2012年ではないものも入ってますけど、正直そのくらい観てるタイミングがずれてたりするのです。当時は「未来日記」映りませんでしたし。

 アニメの話題を前振りにしてはしたものの、ニュースはそこから繋がるわけでもなく、それどころかニュースをやる気もありません。最近思ったりしたことを、つらつらと書いてみようと思います。
 せっかくのこういうサイトですので、小児性愛についての論考でもしたほうがいいんでしょうけど、今回はそこからやや変化球気味に、「女性」について考えてみました。

 かっきりと何年単位、という話ではないんですけど、日本の女性観、特に女性自身による女性観が段階的に変わってきているようにユリには思えます。学術的な話題に発展させるつもりもないので、便宜的に年代で区切って挙げていくことにします。終戦直後には余裕がなかったこともあり、雰囲気とノリで60年代以降10年刻みで。

★まずは60年代。
 60年代は「フィメールの時代」だったと思います。
 とはいってもこれは「起点」という意味での言葉であり、まずは生物学的な意味での「女性」であったという程度の意味で、そこに恣意的な意味は込めていません。つまり「意図はない」という「意図」で単語を選んでいます。旧来の、と言いながらもそれ以前にもターニングポイントを経ての変遷はあったでしょうけど、今回はその話には触れずにおきます。
 この単語、カタカナで外来語として使うことはほとんどないので、こうして改めて書いてみると「フェルメール」と紛らわしいですね。まったくの余談ですけど、「フェルメール」で画像検索すると、いくら代表作といえども同じ顔が並びすぎです。

★次は70年代。
 70年代は「ウーマンの時代」だったと思います。
 ウーマンリブの運動が世界的に広がっていき、日本もその影響を受け始めた時期です。現実的にはまだまだ旧来の女性観に縛られた実情があったとは思いますけど、意識的には明らかに変わってきていたんだと思います。とはいえ、ユリは間接的にもその時代を知りませんけどね。文献や映像資料からはなんとなく感じられます。
 反論を恐れずに率直に個人的意見を述べますと、スタートはきっと男性に対する劣等感的なものだったんじゃないか思います。男尊女卑的世界観からの脱却が具体的な目標として掲げられることによって、実際の行動が起こされ、その行動がまた回りの女性観に影響を拡げていった時代だったんだと思います。
 社会との軋轢を想像するだけでも大変な時代だったんじゃないでしょうか。

★次の80年代。
 80年代は「レディの時代」だったと思います。
 ウーマンリブ活動を経て社会から権利を勝ち取りつつあった女性にも少しだけ余裕が生まれ、自身の価値を高めようと舵を切った時期です。要は社会進出が出来るようになると同時に、学歴や技術も求められてゆくという構図なんだと思います。
 実際には60年代には誕生していた「OL」という言葉が、広く当たり前な存在として受け入れられた時期だったんじゃないでしょうか。女性から淑女へ、妻や母から労働力へ、そんな雰囲気が感じられます。要職に就く女性の存在が大きな話題にならなくなった時代だったと思います。

★次の90年代。
 90年代は「フェミニンの時代」だったと思います。
 ある程度社会進出を果たした女性の、反動的な時期だったんじゃないでしょうか。そして年代的には80年代の話になりますけど、バブル景気に浮かれる社会が女性も持ち上げて、女性側もその気になっていたような気がします。
 これまた外来語としてはファッション用語として使われることが多い単語で、派生語としての「フェミニスト」が本来ウーマンリブ以前の解放運動を指していたりするので、チョイスとしてはやや苦しいんですけど、男性と同等の存在を目指していた前年代に対して「女性らしさ」を求める動きが強まったということで選びました。
 女性自身の女性観と言っても一枚岩なわけでもなく、社会進出を押し進める人たちと、玉の輿で専業主婦が女性の幸せと信じている人たちの溝が、くっきりと浮かび上がってきた時代だったんでしょう。

★そして00年代。
 00年代、そして今現在は「ガールの時代」なんだと思います。
 女性の社会進出がある程度までは当たり前になり、大学に行って就職するのが当たり前になりました。そうなれば自然に結婚適齢期が遅くなっていきます。遅くなるだけならいいような気がしますけど、適齢期が遅くなったからといって賞味期限が長くなったわけではないのがミソです。そして、男は誰でもロリコンです。相手を捕まえるために、賞味期限と戦いながら若作りに奔走する女性が増えているというのが現状なんじゃないかと思います。そして無理そうな女性に対しても、メディアが必死に「まだ若い、まだいける」と煽っている時代でもあります。
 不景気な上に、男性の買い物の仕方がネットでの価格や品質比較を経由する傾向が強まった今、以前のような広告展開での大量消費誘因という手法があまり通用しなくなっています。そこで独身女性の財布をアテにしたマーケティングに移行し、虚飾の若さを売りつける流れになっているのでしょう。
 だからこそ、本物の若さである少女を愛でる男性が目の敵に……というオチに繋げて、このサイトらしく結論づけておけばいいような気がしてきたのでそうしておきます。ちなみにユリは、「ガーリー」と言われてついドクロの首飾りをしたファッションなんだと勘違いする永遠の少女です。

 このサイトらしい小児性愛者寄りの結論ついでに、身近な小児性愛者についての最新情報をお送りします。なんと! あのセンセにも娘が出来たそうですよ! いろいろというか、完全確実に危険な香りがしますね! ユリにも写真を送ってくるほどの溺愛ぶりですよ!

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 ……えっと。
 別の意味で危険な方に向かっているみたいです。
 「三つ編みは初めて覚えた。お風呂はまだ」という文面を見る限り、やっぱりあのおっさんが普通の生活を出来るとは思えないので、今年こそちょっとはこちら側に顔を出したりしないかなぁ、などとらしくないことをつぶやきつつ、久々の更新を締めくくろうと思います。本年もたまーに見に来てくれて、舌打ちぐらいしてくれると嬉しいです。


a-News 1.46

Last Update : 2013/01/01 00:28:32