2011/02/13 (日)
★娘を30年間暴行、子供10人生ませる 実父逮捕へ
さて、あけましておめでとうございます、本年もどうかよろしくお願いしますとカレンダーを見つめながら遠慮がちに挨拶してみるユリです。
去年を振り返ってみると、「まぁ一昨年と特に変わってないよね」のひとことで済んでしまうので、簡単というかラクというか……来年は違った言葉が言えるといいなと思います。
ちなみにニュースソースが古いのは、その時にこれをネタにしようと思ってブックマークしていたのが発掘されたからです。その時には多分いろいろ書きたかったことがあったんでしょうけど、今は「ブックマークまでしておくようなネタだったかな?」と思い返す感じですね。
とはいえせっかくなので、「お兄ちゃんのことなんかぜんぜん好きじゃないんだからねっ!!」を横目に眺めつつ、近親相姦について思ったことをつらつらと書いてみたいと思います。
当該の事件についても、古今東西で繰り返される似た事例についても、「娘が成人後に、同意の元で多くの子供をもうけた場合にはどんな罪状になるのか」という疑問がユリにはありました。国によって差はありますけど、少なくとも日本という国では成人同士の同意の上での近親相姦は違法になっているわけではありません。というより、合意がなければ近親であろうがなかろうが「強姦」なわけですし、同様に未成年であれば「性的虐待」ですので、むしろ「近親相姦」という呼称は違法ではないことが前提の分類であるのだと思います。
つまり法律的な禁忌事項というよりも倫理的、あるいは慣習的なタブーという要素が強いのでしょう。そしてタブーとして語られる場合によく理由として挙がるのが「近親婚での子供には障害児が多い」という話です。これはこれでそれなりに納得できることはできるんですけど、じゃあ子供作らなきゃやりほうだい!というエロマンガ的発想が沸いてくるのも事実です。とはいっても昔は避妊も難しかったわけで、ならば性行為自体禁止するしかなかったんでしょうけどね。
そこまで一通り考えて、なんか別の面白い仮説でもたてられないかなぁ、とない智恵を振り絞ってたどり着いたのが家族構成破綻忌避説です。
性別ごとの呼び名はさておくとすると、基本となるのは「親・子・孫」になります。これは絶対的というよりかは相対的な呼称ではありますけど、主体が同じであればひっくり返ることはまずないでしょう。義理の親や戸籍上の親は置いておくとして。
ところが親と子で子供を作った場合は、その子供は子になるのか孫になるのか、血縁的にも振り分けが難しくなるわけです。近親婚を行なってきた部族などは、子供を一旦親と「結婚」させることで子という役割を破棄させてますから生まれた子はやはり子なんでしょうけど、そういった段階を踏まずに生まれた子は分類に困る、困るからやめておこう、という仮説です。
とここまで書いておいてなんですけど、「それならきょうだいならなんの問題もないじゃん?」とか「産む側つまり女を基準にすれば済むんじゃね?」とか、自分で自分を突っ込む流れになってしまい、「この仮説は無理があるよね」という結論に達しました。普通ならダメな仮説は披露するべきではないんでしょうけど、とりあえずユリはこんなムダな考察をして日々を過ごしていますという報告にさせてもらいました。
次の機会には家族を閉鎖的にせず他人と交わっていくことで家族の接点を拡げ、無益な争いを起こさせないコミュニティ存続防衛機能としての近親相姦論でも披露して、改めて自沈してみようと思います。
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