ゆり☆にゅーす

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2004/05/29 (土)

(Junk)×6[ジャンクバイシックス]公演(天然求心力アルファ)

 さて、通りすがりにやっつけ更新のユリです。
 ほんとは昨日書くべきことだったんですけど、すっかりうっかりギリギリです。
 明日の公演にはユリも行きますけど、絶対に逢えませんのであしからずー。


2004/05/07 (金)

児童ポルノ:架空口座で利益隠し 暴力団組長を再逮捕(毎日)

 さて、架空児童ポルノの手先、ユリです。このサイトも初期の頃はこうした話題をよく扱っていたわけですけど、さすがに似たような話題を何度も扱うといつも結論が同じになってしまうというジレンマもあるわけで。結果として無節操です。でも、たまには初心にかえるのもいいかと思います。

 そんなわけで、今日のニュースです。
 ……でもこれって、「児童ポルノ」と書かれているから取り上げてみたものの、多分きっとほぼ絶対「援助交際モノ」のビデオのことなんですよねぇ。で、ユリの関わっているジャンルの「児童ポルノ」って、逆にこうした援助交際系とは世論の認識とは全く逆に極めて遠いジャンルだったり。
 それにしても顧客のべ66万人というのはすごいです。リピーターが多そうなので実際の顧客は少ないにしても、これだけの非合法なスケベがいること自体、驚愕に値しますね。
 あ、逮捕については特に今更書くことないです。強いて言えば、「非合法で稼いでいるんだから所得隠すのは当たり前だよねー」といったところですか。


2004/05/06 (木)

文教大が松本被告の娘の入学認める、仮処分決定を尊重 (朝日)

 さて、ユリです。昨日のお話にはもなみたんが軽く反応してくれたようです。どうもありがとうございます。後付け論は面白いですね。まぁ、普通の人間なら少し考えるだけでおかしいと気づくようなことですしね。
 言葉狩り全体においても、狩ること自体に陶酔を覚える人たちが多いです。こういう人たちにとって、実は題目はなんでもいいんだと思います。排他こそがアイデンティティーになっちゃっているんでしょう。

 とまぁ、話し出すとキリがないので、今日のニュースです。激しく日時が前後していますけど、いつものことですからあまり気にしないでください。

 以前から話題になっていた、大学による麻原娘の入学拒否事件ですけど、落ちつくべきところに落ちついたようです。感情的にはどうであれ、入学拒否は明らかな人権侵害にあたるわけですから。バカなホテルのような醜態をさらさず、素直に諦めた点はさすが大学です。なら最初から拒否するなよ、というつっこみどころはさておき。
 この「感情的には」という部分が、今回の件にしても某ホテルの件にしても重要なところで、法治国家に住んでいる以上、感情を優先するわけにはいかない場面というのは多いわけです。つまり、ホンネとタテマエはちゃんと使い分けましょうということで。
 差別なんて、そう簡単にはなくならないんですから、それならせめて、みんながニコニコとタテマエで生きられる世の中にすることの方が先決だと思います。


2004/05/05 (水)

「こどもの日」に思うこと(ゆり☆にゅーす)

 さて、イベント日ぐらいは真面目に更新しようと思うユリです。いえ、毎日更新があるべき姿であるのはわかってるんですけどね。
 むしろ、最近ちっともニュースを提供していない方が気にかかってもいたりします。そんなわけで、今日もニュースではなく、思っていることを。ただし、一応今日の日にちなんだお話にしてみます。

 えーっと、最近「子ども」という表記をよく見かけることと思います。特に若い人などは、幼い頃からこの表記に慣らされていて、特に違和感も疑問も感じていないのではないでしょうか。
 こうした単語の一部をひらがなにする表記というのは、新聞やテレビのニュースなどで「難読漢字である」という理由で行われる場合が多いです。「虞犯→ぐ犯」のような形ですね。でも、「子供→子ども」の場合は、特に難しく読みにくい漢字であるというわけではありません。ではどうして、こうした表記が使われるようになったのでしょうか。
 詳しい話については、「“差別用語”と呼ばないで」さんえっ!「子供」って差別表現だったの!? のページ、さらに発展して「はれぶた」の作者のサイト、「矢玉四郎はれぶたのぶたごや」さん子ども教の信者は目をさましましょうのページを参照していただければいいんですけど、さすがにそれだけでは手抜きのようなので、簡単に説明しておきます。
 一言で言えば、「『供』という文字はお供え物に通じたり、大人のお供に通じたりするのでダメ」などという奇天烈な感情論から来ているのです。そしてこの意見を言っている人たちは、さも子供たちの人権に配慮しているかのような顔で胸を張り、口うるさく「子ども」への書き換えを強要するために、結果面倒を避けたい出版社や作家たちも追随する形で「子ども」表記を採択するようになってしまいました。
 でも、これって、やっぱりヘンだと思います。漢字のイメージで表記を修正していったら、キリがないからです。例えば「びょう人」とか書かなければならなくなります。読みにくいだけです。まだ、全部をひらがなで書いた方がマシでしょう。

 この表記の問題については、数多くある差別用語問題と同じく、すぐに解決する問題であるとは思っていません。ただ、この問題について、ユリが思うことは二つ、あります。
 一つは、是非この問題について、当の子供たちを交えて論議してほしいと思うことです。「人権に配慮した」と言うくせに、その当事者を蚊帳の外に置いて語るのは「片手落ち」ですから。そこで果たして、子供と書かれて人権を侵害されたと感じる子供がいるのかどうか、ユリには気になります。
 そしてもう一つは、肚が立ったのでユリは絶対に「子供」という表記を使い続ける、ということです。納得できるだけの材料が全然ない状態で、人に特定の表記を強要する姿勢には全くもって頷けません。まぁ、この宣言については過去にも書いているんですけどね。

 というわけで、今日は「こどもの日」にちなんで、「子ども」表記問題について触れてみました。意外に知られていない話だったのではないでしょうか。知らないままで一部の人に決められてしまうよりも、なるべく多くの人に考えて欲しい問題だと、ユリは思います。


2004/04/29 (木)

適当に思ったことについての反応について思ったこと(ゆり☆にゅーす)

 さて、予想通り「湯けむりスナイパー」について何の反応も得られずにションボリなユリです。これが昨今の続編ブームに乗って人気爆発中の「マギー's犬Jr.」だったらレスを返すのが大変なくらい反応が……いえ、妄想です。
 で、それとは違った反応のうち、ひとつ気になる内容がありましたので、こちらで取り上げてみようと思います。そうです、今日もニュースではなかったりするのです。
 以下、まるまる引用します。

[751] ななし 04/4/28 12:11

勝った者が正義なので、必然的に正義は勝つ事になります。
つまり「正義は勝つ」というのは、間違いではありません。


 えっと、実によく繰り返される内容で、まるでどこかからコピー&ペーストしたかのような感覚がしますけど、ユリはあえて、これに正面から反論してみたいと思います。というか、かねがね気になっていたことでもあるので。

 結論から先に言えば、「正義とはなにであるかを定義してからでなければ、どんな議論をしてもムダ」なのですけど、それで終わってしまうのも面白くないので、その結論の理由から話を拡げてみることにします。
 突っ込まれないように書いておきますけど、「正義にいくつも種類があるのか」と訊かれれば、ユリは「ある」と答えます。でも、それはそれぞれが「唯一」と考える正義なのです。「唯一」のものが「たくさんある」、このホロクラフ的構造が重要なのですけど、それは今回の件からは微妙にずれるので割愛します。
 割愛しすぎですっ飛ばし気味になりますけど、このよく言われる「勝ったら正義」論における「正義」とは、いわば「巨視的正義」に属する「正義」であり、個人が持つ「正義」とはまったくの別モノなのです。
 わかりやすく身近な例を挙げれば、アメリカや日本が何度も戦争に勝っていても、それを正義だと思わない人はたくさんいるということです。
 こう書くと、予期される反論は大きくわけて二つになります。ひとつは、勝った当時には正義だったというもの、そしてもうひとつはそういう一時的勝利は別だというもの。後のものはほとんど駄々っ子のような反論なので軽く無視するとして、ここでは「当時は正義だった」論について考えてみましょう。
 ……考えるまでもなく、こんな話は戦争経験のあるお年寄りに聞けばすぐにわかる話です。結果的には敗戦して良かったと考える方も多いでしょうけど、少なくとも「アメリカは正義だった」と言う人は限られるのではないでしょうか。「勝ったら正義」という理論はつまりあくまで勝った側の理論なのであり、負けた方は正義として受け入れているわけではなく負けたので言い返せないだけなのです。この状況は歴史において常に繰り返されてきたものであって、負けた側が辛酸をなめることがほとんどでした。
 また、完全に戦争が終息したかどうかは、当時には判断できません。まさしく臥薪嘗胆で形勢が逆転することもあります。そうなるといったいどの時点で「正義」と呼ぶのか、非常に難しい問題になります。これが判断できるのは、後世になって歴史として学ぶ人たちだけでしょう。ここで、ユリが先に書いた「巨視的正義」という言葉に帰着します。その時代を生きたものたちの視点ではなく、大きな流れとして理解した人間だけが持ちうる認識、ということですね。つまりこの「正義」は、「過去にしか存在しない正義」です。現在にも未来にも存在し得ない正義です。果たしてそれを定義以前に、正義と呼べるでしょうか。

 この「勝てば正義だ」論は、ユリは「勝てば官軍」という言葉から転用して生まれたものだと思います。「官軍」とは支配する政府側の軍ということで、この言葉自体はまったくもってその通りなわけですけどね。
 最後に書きますけど、ユリとしては本当は戦う必要のない正義が一番だと思っています。だから、「正義は勝つ」という言葉には「正義に逆らって悪いことをしてもムダなんだよ」という戒めが込められているのではないかと。そんな甘ちゃんなユリですので、つい長々と反論してしまいました。ななしさん、勝手にあげつらってしまってごめんなさい。


a-News 1.46

Last Update : 2013/01/01 00:28:32