2004/04/29 (木)
★適当に思ったことについての反応について思ったこと(ゆり☆にゅーす)
さて、予想通り「湯けむりスナイパー」について何の反応も得られずにションボリなユリです。これが昨今の続編ブームに乗って人気爆発中の「マギー's犬Jr.」だったらレスを返すのが大変なくらい反応が……いえ、妄想です。
で、それとは違った反応のうち、ひとつ気になる内容がありましたので、こちらで取り上げてみようと思います。そうです、今日もニュースではなかったりするのです。
以下、まるまる引用します。
[751] ななし 04/4/28 12:11
勝った者が正義なので、必然的に正義は勝つ事になります。
つまり「正義は勝つ」というのは、間違いではありません。
えっと、実によく繰り返される内容で、まるでどこかからコピー&ペーストしたかのような感覚がしますけど、ユリはあえて、これに正面から反論してみたいと思います。というか、かねがね気になっていたことでもあるので。
結論から先に言えば、「正義とはなにであるかを定義してからでなければ、どんな議論をしてもムダ」なのですけど、それで終わってしまうのも面白くないので、その結論の理由から話を拡げてみることにします。
突っ込まれないように書いておきますけど、「正義にいくつも種類があるのか」と訊かれれば、ユリは「ある」と答えます。でも、それはそれぞれが「唯一」と考える正義なのです。「唯一」のものが「たくさんある」、このホロクラフ的構造が重要なのですけど、それは今回の件からは微妙にずれるので割愛します。
割愛しすぎですっ飛ばし気味になりますけど、このよく言われる「勝ったら正義」論における「正義」とは、いわば「巨視的正義」に属する「正義」であり、個人が持つ「正義」とはまったくの別モノなのです。
わかりやすく身近な例を挙げれば、アメリカや日本が何度も戦争に勝っていても、それを正義だと思わない人はたくさんいるということです。
こう書くと、予期される反論は大きくわけて二つになります。ひとつは、勝った当時には正義だったというもの、そしてもうひとつはそういう一時的勝利は別だというもの。後のものはほとんど駄々っ子のような反論なので軽く無視するとして、ここでは「当時は正義だった」論について考えてみましょう。
……考えるまでもなく、こんな話は戦争経験のあるお年寄りに聞けばすぐにわかる話です。結果的には敗戦して良かったと考える方も多いでしょうけど、少なくとも「アメリカは正義だった」と言う人は限られるのではないでしょうか。「勝ったら正義」という理論はつまりあくまで勝った側の理論なのであり、負けた方は正義として受け入れているわけではなく負けたので言い返せないだけなのです。この状況は歴史において常に繰り返されてきたものであって、負けた側が辛酸をなめることがほとんどでした。
また、完全に戦争が終息したかどうかは、当時には判断できません。まさしく臥薪嘗胆で形勢が逆転することもあります。そうなるといったいどの時点で「正義」と呼ぶのか、非常に難しい問題になります。これが判断できるのは、後世になって歴史として学ぶ人たちだけでしょう。ここで、ユリが先に書いた「巨視的正義」という言葉に帰着します。その時代を生きたものたちの視点ではなく、大きな流れとして理解した人間だけが持ちうる認識、ということですね。つまりこの「正義」は、「過去にしか存在しない正義」です。現在にも未来にも存在し得ない正義です。果たしてそれを定義以前に、正義と呼べるでしょうか。
この「勝てば正義だ」論は、ユリは「勝てば官軍」という言葉から転用して生まれたものだと思います。「官軍」とは支配する政府側の軍ということで、この言葉自体はまったくもってその通りなわけですけどね。
最後に書きますけど、ユリとしては本当は戦う必要のない正義が一番だと思っています。だから、「正義は勝つ」という言葉には「正義に逆らって悪いことをしてもムダなんだよ」という戒めが込められているのではないかと。そんな甘ちゃんなユリですので、つい長々と反論してしまいました。ななしさん、勝手にあげつらってしまってごめんなさい。
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