2003/09/13 (土)
★「柔らかな皮膚しかない理由は 人が人の傷みを聴くためだ」
さて、少なくともこのサイトは「ニュースサイト」でも「ブログ」とやらでもないなぁ、としみじみ思うユリです。好きなことを、好きなようにやってます。
というわけで、今日はこんな話題です。
めったにドラマを見ないユリが珍しく通して見ていた「Dr.コトー診療所」が、最終回を迎えました。まぁ、見ていた理由については、大方の人が予測している通りです。主題歌がみーさまだからですね。
とはいえ、ドラマとしても素直に楽しめたのは事実です。最後まで、柴崎コウの彩佳さんに違和感がありましたけど、後のキャスティングには不満はなかったですし。あの彩佳さん、見た目が派手すぎですよう。
あまり信憑性のないオヤジ系雑誌によりますと、最近の連続ドラマは人気タレントのキープにばかり躍起になって、シナリオや企画は後付けなんだそうです。言われてみると、思い当たるドラマもいっぱいありますね。それが今の連続ドラマ低迷の一因になっているという指摘には、なにはともあれ「ガッテンガッテン」とボタンを押してしまいます。どうして「ガッテンボタン」は市販化されないんでしょうか。
横道に逸れました。ともかく、「Dr.コトー診療所」は最終回でも視聴率22.3%を突破したそうで、昨今のドラマとして成功した作品だと思います。同じ医療ドラマでも、青臭すぎてどうも好きになれない「ブラックジャックによろしく」に比べ、しっとりと描かれた人間像がベタとはいえ好きでした。
次のドラマも医療モノの定番、「白い巨塔」ですね。キャスティングにも気合いが入りまくりなのがよくわかります。ユリとしては財前五郎といえば村上弘明のイメージが強いんですけど、これってニッチな世代なんでしょうねぇ。眠狂四郎だって、市川雷蔵でも田村正和でもなく、片岡孝夫(当時)ですし。なにはともあれ、第一話ぐらいはみてみようかと思います。
って、見出しを含めて、ユリらしくみーさまの話題へ。
見出しは、「Dr.コトー診療所」の主題歌だった「銀の龍の背に乗って」の、二番の歌詞の一部です。このフレーズが特に好きなので、抜き出してみました。JASRACくそくらえです。
このフレーズを聴いて思い出すのは、同じみーさまの歌「瞬きもせず」でした。少し長くなりますけど、歌詞を引用してみます。「ああ 人は獣 牙も毒も棘もなく ただ痛むための涙だけを持って生まれた 裸すぎる獣たちだ」と 、この歌でも歌っています。
人間が、個体としてここまで弱くなってしまったことを、「瞬きもせず」では嘆き、そして「銀の龍の背に乗って」では良い意味に解釈しています。もちろんこれは、思想的な円熟とかそういう意味ではなくて、単に曲としての切り口の違いだとは思いますけど、ファンの視点からすると面白い点です。
実際、人間が動物的に弱くなっていったのは「道具」を使い始めたから、とされていますけど、ユリは「道具」だけではなく「他人」も使い始めたから、だと思っています。「他人を使う」と書くと聞こえは悪いですけど、要は「分業体制」、わかりやすく書くと「たすけあい」のために、個体としての強さを不要としたんだということです。道具を使って捕食することが爪や牙を奪い去っただけでなく、その捕食自体を専業として請け負う人がいるからこそ、人間は更に弱くなってしまったと。
でも、それは「いとおしき弱さ」だとユリは思います。「エヴァンゲリオン」でも取り上げられた「ヤマアラシのジレンマ」のごとく、他者から身を守ろうと棘をまとえば、触れあうこともままならなくなります。人と人はわかりあうために弱くなり、弱くなったためにわかりあって助け合わなければならない。そのスパイラルこそが、人間が人間であるための本質なのではないでしょうか。
そして、そうしたテーマは、本当にドラマの内容とマッチしていたと、ユリは感じました。
やっぱり、主題歌って大事です。流行りモノの音楽を適当に主題歌に抜擢するということも全て間違いだとは言いませんけど、やっぱり、まずはストーリーありきの姿勢で主題歌は作るべきだと思います。
今回の「銀の龍の背に乗って」でも、ネット上でこんなような感想を見かけました。「銀の龍。これまで、メスのことをここまで美しく表現したものを見たことがない」と。そうです、つまりこの歌は、非力なひとりの医者が、銀の龍であるメスを頼りに同じ人間を救おうとする歌なのです。
「プロジェクトX」でも、裏方の立役者を「地上の星」に例えたみーさま、やっぱり大好きです♪
……と、らしくなく終わってみました。
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