『幽かにくゆる煙の影』

   「第一話 縁の交点」  海並童寿



 白昼の住宅街、である。
 初夏の日差しがまぶしい中、人通りなどほとんどない。
 彼、石黒恭介と──
 丁度反対側からやって来た、一人の少女を除いては。
 双方ともに互いの姿を認め、10メートルほどの距離を置いて立ち止まる。
 恭介はくたびれた黒のTシャツ、すっかり色がさめてすり切れたジーンズのズボンという出で立ち。一応27年間の人生を歩んできている。一方、少女の方は白い半袖のブラウスに濃紺のスカート、臙脂のリボンタイ。ブラウスの襟元に小さく入った刺繍の意匠が、詳しくは分からないまでも、その服装がどこかの学校の制服であることを示している。背丈などからすると、中学生というところか。
 そうして、
「大層なモノを……憑けていらっしゃいますね」
 先に口を開いたのは、目を丸くして驚いた様子の少女の方だった。
「へぇ。見えるのかい、こいつが」
 恭介はそう言って軽く唇の端をつり上げた。少女はこくり、とうなずくと、
「……はい。多少、覚えがありますもので」
 ふむ、と恭介は顎に手を添えて少女の姿を改めて見直した。
 つややかな黒髪を腰の辺りまで伸ばし、前髪は眉の上できっちりと切りそろえられている。細いがけして鋭くはない目、小さく整った鼻と唇。そして透き通るような白い肌。……もっとも、その肌の色については若干、割り引いて考える必要があったかも知れない。
 少女は、この世のものではなかったからである。
「何やってんだ? まっ昼間っからこんなとこで」
 恭介は呆れた様子で片眉をひそめながらそう言った。
 すると少女はなにやら困ったような顔をして、
「その……そちらのお宅に伺おうと思って来たのですけれど……」
 そう言ってすぐ横の門扉を手で示した。表札には「三次」の文字がある。
「もしや、貴男もこちらに御用がおありなのでは?」
 恭介はふん、と鼻から息を吹き出した。
「ドンピシャビンゴ大当たりリーチ一発高めツモ、だ。俺はこちらの三次さんから正式に依頼請けて来てるんだよ。で、何だお前は。それとも何か、お前か、今回のターゲットってのは」
 じろ、と少女をにらみつける。少女は慌てた様子でわたわたと手を振った。
「ちっ、違います、私もこちらのお宅に質の悪いモノがいるように感じて……」
「で?」
「……その……私にできることなら、何とかしようと」
 少女はもじもじとうつむいて、尻つぼみにそう言った。
 恭介はふぅ、とこれ見よがしにため息をついてみせた。
「俺の『相棒』が見えるってんだから、お前さんもただの幽霊じゃぁないんだろうがな。話聞いた限りじゃ結構な難物だぜ。毛の生えたトーシロ程度にどうなるもんでもねえ。悪いことは言わん、行った行った」
 しっしっ、と手の甲を振り、恭介は門扉のインターフォンのボタンに手を伸ばした。
「あ、あの……それでは、後学のために、そばで拝見していてはいけませんか?」
 少女が掛けた言葉に恭介は思わず振り返った。口がだらしなくあんぐりと大きく開いている。
「……は?」
「そ、それに……もしかしたら、何かお手伝いできることがある……かも……」
 少女は必死な表情でそう訴えた。
 恭介は下がったままの下顎を手で押し上げて閉じると、
「ああはいさよでございますかと来たもんだ。その分じゃどうせ俺が首を横に振ったって付いてくるんだろ? 勝手にしろ、この物好き娘」
 そう言って今度はインターフォンのボタンを押した。
「あ、ありがとうございますっ!!」
 感激した様子でぺこぺこと頭を下げている少女には目もくれず、インターフォンに向かって、
「電話でお話を伺った石黒ですが」
 恭介はそう言うと門扉を勝手に開けて玄関へと向かった。


「……石黒さん……ですか?」
 玄関で恭介を迎えた中年の女性は憔悴した顔に怪訝な色を浮かべた。
「間違いなく石黒恭介本人です。電話の声と同じでしょ?」
 一方の恭介はさばさばとそう答えた。
「拝み屋さんと伺ったのですけれど……」
 なおもその女性は困惑の色を隠さない。
「何でも屋で、拝み屋仕事もお引き受けしますということですんで。ま、俺の出で立ちを見て一目で納得して下さる方もいませんがね」
 確かにこの服装では、他のどんな職業よりも拝み屋には見えまい。
「あ、申し訳ございません、どうぞ中へ」
 女性に招かれて恭介は屋内へと足を踏み入れた。その後にそそっ、と幽霊の少女が続く。
 中に入った途端、奇妙な声が聞こえてきた。
「んっ……ひぃ……く、ふぅんっ……あ、ひぅ……」
 若い女性の声──それもどうやら、嬌声である。
「多佳子……」
 中年の女性の顔がいっそう沈痛なものになった。
「電話で伺ったお嬢さん、ですね。部屋は……2階だな」
 恭介はそんな女性を気にも留めない様子でさっさと上がり込むと階段に足をかけた。慌てて女性と、幽霊の少女が後を追う。
 階段を上りきり、嬌声の聞こえる方へと足を進め、恭介はノックの一つもなく無遠慮に目の前に現れた扉を開いた。
「ひっ、あ、くうぅ、はひ、ひ、いひゃあぁっ……」
 その部屋には一人の少女がいた。顔立ちはまだ幼い──10才そこそこ、であろうか。胸もまだふくらみと呼べるほど盛り上がってはおらず、恥丘にも産毛以上のものは生えていない。
 なぜそんなことまで分かるかと言えば、その少女がベッドの上で、パジャマをしどけなく開いて、胸や秘所をあられもなくさらけ出しているからである。さらけ出しているだけではない。左手はツンと尖った小さな左乳首を執拗にこね回し、右手の指は秘裂の底を掻き出すように激しくうごめいている。幼いクレバスからは、その見かけに違い、ぼたぼたと落下音が聞こえそうなほどの液体があふれ出していた。わずかにではあるが、クレバスの端からは小さな肉芽すら顔をのぞかせていた。
「あ、あ、うぁ、くんっ、んんっ……」
 体を弓なりにブリッジをするように反らせて、その少女は激しいオナニーにふけっていたのである。
 恭介は微かに顔をしかめた。
「いつからです?」
 少女──娘の恥態に悲痛な表情を見せていた女性は、その問いが自分に向けられたものだと気付かなかったらしく、一瞬とまどった表情を浮かべてから慌てたように答えた。
「き、昨日の朝、起こしに来た時にはもう……」
「朝っぱらから始めちまうってのはなんだし……そうすると、一昨日の晩から休みなし、か」
 現在、午後3時。恭介の推測が正しければ都合40時間以上、この少女はオナニーを続けていることになる。そしてその推測は的を外しているわけではなさそうだった。ひっきりなしに声を上げる少女の頬はやつれ、目の下には隈が浮かんでいた。
「……下衆な……インクブスなど、夜の夢にたゆたっていればよいものを」
 そこへ、ぼそりとつぶやく声が響いた。それが誰の声なのか、一時恭介には分からなかった。
(何だ? さっきの小娘、か? いやしかし、何か別人のよーな……)
 声のした方を見た恭介は言葉を失った。
 そこにいたのは確かに先ほどの幽霊少女だった──ように思えた。だがまず、服装がまるで違う。学校の制服然とした服装は、真っ白な作務衣に替わっていた。そしてその右手には、いつの間にか神楽鈴が握られていた。そうした装束だけではない。先ほど玄関先で初めて見たときは愛らしくも見えたその表情は、堅く張りつめていた。眉はきつく寄せられ、唇は引き結ばれ、まなざしはその先にある『何か』を貫き通すような激しさを帯びていた。
 一時呆然としていた恭介だったが、気を取り直すと、
「インクブス、ね……なるほど、お前さんには見えるわけか」
 ぽつりとそう言った。
「はい?」
 ベッドの上の少女の母親が怪訝な顔をするのに、ぱたぱたと手を振る。
「いえ、こっちの話で。さて、そんじゃちょいと荒事になりますんで、お母さんは下がってていただけますかね」
「は、はい……あ、あの、多佳子は……」
 心配そうな母親に恭介はニヤリ、と笑って見せた。
「目処は立ちました。大丈夫、無事にいつものお嬢さんに戻して見せますよ。ご心配なら廊下の端あたりから見ていて下さい」
 言われて母親はそろそろ、と部屋の前から下がった。その目は心配げに、身もだえる娘に注がれている。
「……見えないんですか? 貴男には」
 再びぼそっとした口調で幽霊少女が言う。恭介は肩をすくめた。
「普段はな。そう大した眼力があるわけじゃないんだ」
 小声でそう返す。
「が、それじゃ仕事にならねえ。策はちゃんと用意してあるよ」
 そう言いつつ、ズボンのポケットから数珠を取り出す。右手にそれを掛け、顔の前に構える。そして、低くつぶやいた。
「ガテー・ガテー・パーラガテー・パーラサンガテー・ボーディ・スヴァーハー」
「般若心経……真言?」
 幽霊少女があっけにとられたという口調でそう言った。発音が多少サンスクリットに近いというだけで、恭介がつぶやいたその言葉は人口に膾炙する般若心経の末尾に置かれた真言そのものだった。わざわざ策、などと勿体ぶるものとは思えない。
「馬鹿にしたもんじゃないぜ? 大神呪、大明神呪、無上呪、無等等呪にして能く一切の苦を除き、真実にして虚ならず──来たっ!!」
 瞬間、恭介の知覚が変容した。般若智──全ての事物を関連に基づいて認識し、価値判断や区別を行わない特殊な知覚。般若心経真言を唱えることで、恭介はほんの一刹那の間、自らの知覚を般若智の状態に置くことができるのだ。そしてその知覚を得た恭介の視覚は、仏眼すなわち仏陀の視覚に近いレベルにまで引き上げられる。
 その刹那に、恭介はベッドの上の少女に災いをなすモノを見定めた。
 若く均整の取れた男の姿。しかしその輪郭は安定せず、肌の色も燃えるような赤と青白い色の間でめまぐるしく変化する。そしてその下腹部は、ベッドの上の少女のその部分と重なっていた。と、言っても男女の営みのように結合しているわけではなく、霊体が壁に埋まるように同じ空間を共有している、というだけのことではあるのだが。
 淫魔、インクブス。──本来、女性の夢の中に現れ、淫らな夢を見せ、その際に放出される生体エネルギーを糧とする魔物である。
 刹那が過ぎ去った後、恭介にはもうインクブスの姿は見えなかった。しかし、
「俺に見えなくても『こいつ』には分かるのさ。頼むぜ、相棒!」
 恭介は右拳を引くと、大体インクブスの姿が見えた辺りめがけて勢いよく突き出した。その動きの間に、握りしめていた拳を鷲の爪のように開く。と、恭介の右手をごう、と黒い炎が取り巻いた。炎は恭介の右手にまといつくと同時に、猛々しく顎を開いた犬の頭の姿を形作る。
 ぞぶり。
 恭介の右手が空間を鷲掴みにするように閉じる。同時に、炎の犬の頭の口も閉じられる。閉じきらないそれが、見えない『何か』を確かに掴んでいた。ややあって、恭介の右手を中心に、それの姿が揺らめきながらにじみ出るように現れた。
「ぐ……拝み屋野郎が……」
 淫魔の顔が憎悪に引きゆがんでいる。恭介の右手の指、あるいは犬の牙、が淫魔の左脇腹にがっちりと食い込んでいた。
「ひぃぃぃっ!!」
 廊下の向こうから悲鳴と、どさ、と言う音が聞こえた。母親が淫魔の姿を見て気を失ったのだろう。
「比較的エネルギーの質がいいオナニー覚え立ての女の子を狙って、イく寸前のとこでがばっと力を持っていっちまう……哀れ女の子はイクにイけず、てめえにエサを提供するためにたどり着けない絶頂目指してオナり続ける、か。うまいこと考えたもんだが、生憎世の中ってのはそうそううまくいかないようにできてんだよ!」
 恭介は叫んで右手をぐい、と引いた。淫魔がベッドの上の少女から引きはがされようとする。
 その時、淫魔が突然に、と嗤った。
「! 何!?」
 恭介の手が食い込んだ辺りが、ぼそりと砂細工が欠けるように淫魔の体から落ちた。
「夢からうつつに出るだけでも苦労したんだぞぉ。こんな上等の仕掛けをむざむざ捨てられるかぁ!」
 にるるる、と淫魔の体がひものように細く伸びる。そして窓へ向かって突き進む。
「てめこの、待ちやがれっ!!」
 恭介の拳が再び伸びるが、ひも状になった淫魔はその拳をなぶるようにひょいひょいと変形してかわす。
 淫魔の体の先端が、窓を突き破ろうとしたその時──
「遣るまいぞっ!!」
 突然幽霊少女の声が響いた。淫魔と窓の間に身を割り込ませ、手にした神楽鈴を振る。
 シャン、シャン、シャン、シャン、シャン……
 五回の鈴の音。神楽鈴の先端が差した空間の点を結ぶ軌跡が中空に光となって現れる。破魔の五芒星形──
「ぐえっ!!」
 五芒星陣に正面から激突した淫魔がたまらず床へ向かって落下する。それを追うように幽霊少女が素早く動く。
 ダンッ!
 床に触れているはずもないのに、幽霊少女の足が音を立てた。更に跳び、次々と床を『踏み鳴らす』。
 淫魔を囲むように四つの点を踏んで、幽霊少女は淫魔の真上でひときわ高く鈴を振り鳴らした。
 シャラララララ……
 彼女の踏んだ四点と鈴の鳴った点、都合五点が結ばれ、淫魔を取り囲む四角錐形の淡い光の壁が現出した。
「ぐぬ……動けねぇ……それどころか……ち、力が……ぁ」
 ひくひくと淫魔が震える。呆然とそれを眺めていた恭介に、幽霊少女の声が飛んだ。
「今です、拝み屋さん!」
「おう!!」
 恭介はベッドの上の少女に『めり込んで』いる淫魔の体の一部を右手で掴むと、力一杯引き抜いた。
「なぁぁっ!! ち、力が、ちからがぁぁぁぁぁぁ……」
 ひくついていた淫魔の体が急速に色を失っていった。ベッドの上の少女からのエネルギー供給を絶たれ、この世での体を構築できなくなりつつあるのだ。
 ほどなく、淫魔の姿は完全に消え失せた。
「スケベな熟女の夢にでも出てたっぷりかわいがってもらえ、くそったれが」
 恭介は毒づくと、右手を包む犬の頭の姿の炎をそっと左手で撫でた。
「お疲れさん。また頼むぜ、相棒」
 恭介がそう言うと、すぅっ、と炎は恭介の腕の中へと消えていった。
「ひ、はひっ、ら、らめ、らめぇぇぇぇぇぇっ!!!!!」
 出し抜けにすっとんきょうな声が室内に響く。
「あ、嬢ちゃん、そーか、ようやく待ちに待った数十時間ぶりのオルガか……」
 恭介がぼんやりとつぶやく。
 ベッドの上の少女は更に体を反らせ、びくん、びくんと痙攣しながら肉体に激しい愛撫のラストスパートを加えていた。左腕全体を使って左右の乳首を同時に責め、右手の小指は小さな肉穴へと激しく出入りし、わき出す蜜を親指が間断なく肉芽に擦りつける。焦らしに焦らされた幼い官能が、頂点を目指して駆け上って行く。
「らめ、とんじゃ、あ、うぁ、とんじゃう、とんじゃ、は、あ、あ、あ、ああぁぁぁぁぁぁああ!!!!!!」
 少女の体がひときわ大きく痙攣したかと思うと、スリットから透明な液体がほんの少し、ぴゅっ、と噴き出した。そのまま吊っていた糸が切れたように体をベッドに横たえ、ひくり、ひくりと痙攣を続けながら、言葉にならないうわごとを呟く。
「……こっちもお疲れさん……うーむ、大丈夫だよな? ほんとに?」
 何となく恭介は幽霊少女の方を向いてそう問いかけた。口元に手を当てて少女の痴態に見とれていたらしい彼女は、ほんのり染まっていた頬を真っ赤にすると、
「え、えええええええとえとえとえとえとえと、た、たたたたた多分大丈夫だと、おおおおおおおお思い、ますっ」
「思いますってのは何だ?……まぁ、ギネスに挑戦でもあるまいし、48時間耐久オナニーなんて普通やらんだろうから、分からんわな……」
 恭介は荒い息をつくベッドの上の少女に向かって、数珠を引っかけた右手を掲げた。
「……どーか無事でありますように」
 頭上で何かがコケるような音が聞こえたような気がしたが、恭介はそれを無視して、気絶した母親を起こしに向かった。


 夕刻の人気[ひとけ]のない公園。
 ぽい、と厚みのある封筒を放り上げつつ、恭介はベンチに掛けて夕焼けをぼんやりと眺めていた。
「あの、拝み屋さん、お金をそんな風に扱うなんて、罰当たりですよ?」
 後ろから聞こえる声に振り返り、苦々しげな顔を向ける。
「う、る、さ、い。てか、お前ここで何やってんだ」
 苦々しげな顔を向けられた幽霊少女はひるんだ様子で10センチほど後退した。服装はいつの間にやら、二人が出会ったときの制服姿に戻っている。
「あ、いえ、その、……成り行きというか、……はい」
「……分かった。お前さんのおかげで助かった。ありがとさん。じゃ、これ分け前」
 封筒から諭吉翁を1枚取り出し、ひらひらと振ってみせる。
「……頂いても、使えないんですけど……」
「マジ返するなっ!!」
 本気で困っている様子の幽霊少女に恭介は怒鳴った。
 と、幽霊少女がひょこっと恭介の前に回り込んできた。なんとなくつられて恭介も顔を戻す。
「あの……もし、よろしければ、なんですけれど……」
 表情を硬くして、少女が話し出した。
「なんだ?」
「しばらくの間……ご一緒させて頂くわけにはいかないでしょうか?」
「……どーゆーつもりだ、一体」
 かくんと落ちた顎を、筋肉を総動員してどうにか動かしながら、恭介が問う。
「実は、その、私、こうして出歩くようになってから、その……とても……あの、暇で……」
「ほぉ」
 本人がそう言うんだから暇なんだろうなぁ、とぼんやり考えながら恭介はとりあえず相づちを打った。
「それで、その、お怒りになるかもしれませんけど、あの、時間つぶしに、退魔除霊の類のことをしていまして……」
(暇つぶしかよ、おい)
 せめてもの情けでそのツッコミは腹の中にしまっておく。
「ですけど、犬も歩けばとはいうものの、なかなかそう言った事柄には巡り会えないものでして……今日の件も、一週間ぶりのお仕事だったんです」
 ふう、と少女がため息をつく。
「でも、拝み屋さんのところには、依頼が来るわけでしょう? それなら、町中をうろうろするよりも、そういった事件に居合わせる確率は高くなりますし。それに、拝み屋さんのお仕事を、もっと拝見したいというのもあるんです」
 恭介はふん、と鼻から息を吹いて上目加減に少女を見据えた。
「話、聞いてなかったか? 俺は『何でも屋』であって拝み屋はその一部にすぎないの。普段の仕事は失せもの探しだの場所取りだの……はっきり言って、お前さんの出る幕なんぞきっぱりすっきりさっぱりこっきりありゃしないぞ」
 すると、少女は鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をした。
「そんな……千年ほども年経た黒狗の霊を憑けているような方が、どうしてそんなことを?」
 恭介はわずかに少女から視線を逸らした。
「師匠の形見分けに貰ったっつーだけだよ。相性がいいから憑いてくれちゃいるが、本来俺ごときの片腕になってくれる奴じゃない」
 がりがり、と頭を掻いて、恭介は再び少女に顔を向ける。
「……分かった。ここまで付いてきたくらいだ、どのみち断ったって付いてくるつもりだろ? 好きなよーにしろよ」
 その言葉に、少女の表情がぱっと華やいだ。
「あ、有り難うございます! 本当に有り難うございます! その、どうか、よろしくお願いします!」
 何度も深々と頭を下げる少女。恭介はじろりと少女を見やった。
「そんじゃまず、仕事によっちゃ拝み屋やってるなんてのは伏せたいこともあるんでな。まぁ人に聞かれることもないだろうが、その『拝み屋さん』てのは止めてくれ」
「あ、はい。……では、『石黒さん』で、宜しいですか?」
「ちょーーーーーっと待て。何で俺の名前を知ってる?」
 ぎくり、と身を引いた恭介に、少女はぽかんとした顔で言った。
「何故って……多佳子ちゃんのお母さんに、石黒恭介、って名乗ってらしたじゃないですか」
(……とぼけてるフリしてこいつ結構頭マトモに動いてんのな……)
 内心の動揺はどうにか押し隠して、
「ん、それでいい。で、お前さんの名前はなんてんだ?」
 恭介の問いに、少女はすっ、と姿勢を正した。
「申し遅れました。私、七条蛍[ほたる]と申します」
 そして、また少女──蛍は深く頭を下げた。


 これが、石黒恭介と、七条蛍の、縁の交点であった。


   第二話に続く