2003/11/06 (木)
★おもったこと
さて、気がつくと随分と留守をしてしまったユリです。ぼやぁっとネットの大海をさまよったりさまよわなかったりしてました。 そこで、サイトに自分の意見を載せることは言論の自由だからいいじゃないか、と批判に対して答えている人を見かけました。んー、よくある問答といえば問答なんでしょうけど、ユリとしてはかなり違和感があります。 まぁ、誰でも「じゃあ批判だって自由なんじゃないか」というツッコミは思いつくことと思います。批判に対して「言論の自由」あるいは「表現の自由」などという言葉を持ち出すこと自体、ばかばかしい話だということになります。だから何、と言いたくなりますね。
元々、「表現の自由」とは過去に「不自由」な事態があったためにうたわれる権利なわけです。そしてその「不自由」な事態というのは、概ね権力側からなりの圧力を指していると思います。検閲がいい例でしょう。 「言論の自由」が保証されるということは、勿論それに対する批判も自由とされるべきですけど、それに対する現実的な圧力や妨害はよくない、というのが現代的な「言論の自由」の解釈だと思います。つまりこの権利を主張するべき相手とは言論以外の手段で妨害した人なのであり、言葉を使って批判してきた人に対してこの権利を主張するのはかなりの的外れなのではないでしょうか。
「正しさ」の前提は、各個人によって変わってくる以上、そうそう「全員賛成」の主張が出てくるわけがありません。明確な間違いも含めて、「主張する権利を行使する者は、批判を受ける義務を背負う」ことが当たり前だと考えておくべきだと思います。特に、個人が簡単に不特定多数に対して主張できる「場」のある、ネットという空間では。
あ、右の写真は、ユリよりもっと音信不通な坂下センセから送られてきたものです。写メールの文面には、「はがれちゃったよオレの足の小指の爪」とありました。 ……今度会ったら、足を踏んでみたいと思います。
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