「つるぺた天使・黎明篇」  人面石発見器


 まぁ世の中には、「勘違い」したヤツってのはいるもんだ。だがやっかいなことに、外見でそんなヤツを見分けることができないってケースも、多々あったりする。
 例えばこいつ。朝比奈さくら(あさひな さくら)。
 さくらなどといっても、カードを集めたり魔法を使ったりはしない。髪型も基本的にリボンで飾った二つ結びだし、声も「アニメ版のあっちのさくらちゃん」ほどかわいくはない。もちろん、「ほえ?」などとはいわない。
 だが年齢は、「あっちのさくらちゃん」と同じだ。もしかしたら、かわいさも負けていないかもしれない。
 しかし「こっちのさくら」は、一言でいえば「バカ」だ。偏差値が低いとかいうバカではなく、性格に問題のある「バカ」だ。
「あぁ…お兄さまっ! さくらは、お兄さまと愛し合うために生まれてきたのですうぅ」
 両手を胸の前でギュッと組み、瞳をウルウルさせながら、
「ですからお兄さまっ。さくらを抱いてくださいいぃ〜っ!」
 そんな脳が腐っているようなことを、「愛するお兄さま」の目の前で裸体になっていい切ったりするのは、ヤツにとって日常行事だ。
 とはいえ、十歳も年下の実の妹に「そんなこと」をいわれ、平然としていられる兄はいない。
 兄が取れる行動としては、妹の願いを叶えてやる…というのは少ないだろう。問答無用で殴り倒すというのが、まぁ、普通の兄としての行動だ(…そうなのか?)。
 当然「愛されている兄」も、さくらを殴り倒し、倒れたところに蹴りを入れ、
「寝ぼけたこといってると、はり倒すぞッ!」
 と、「それは殴る前にいえよ」とツッコミたくなるような言葉を残して、友人には知られたくない妹から遠ざかる毎日を送っている。
 だがヤツは負けない、めげない、諦めない。
「…くすっ。お兄さまったら、恥ずかしがり屋さんなんだからぁ」
 鼻血を垂らしながら呟き、
「あぁ…この痛みは、お兄さまからの愛のあかし。本当はお兄さまも、心からさくらを愛してくださっているのだわっ」
 取りあえず脳を解剖し、解剖しただけで検査もせずに生ゴミとして出したくなるようなことを、真剣に考え口にする。
 人間、ここまでダメになれるのか? と、哲学的思考に耽りたくなるような少女。それが、朝比奈さくら、小学三年生だ。

 今日も今日とて、ヤツが懲りるということを学ぶことはなかった。
「ふふっ…お兄さま、喜んでくださるかしら?」
 兄、蓬(よもぎ)の入浴中。先に入浴を終えたさくらは、自分の部屋に戻らずに、裸のまま蓬のベッドに潜り込んだ。
「あぁ…さくら。こんなことを考えるほど、お前はお兄さまを愛していたんだね?」
「…はい。お兄さまあぁ」
「ごめんよ、さくら。今まで恥ずかしくて、お前の気持ちを受け止めてあげられなかったバカなお兄さまを、どうしたらお前は許してくれるのだろうね」
「い、いいえお兄さまっ! さくらは、さくらはお兄さまをお恨みしたことなど、一度だってありません。さくらは、わかっておりました。お兄さまの、本当のお気持ちを…」
「さくら…お前は、なんてかわいいんだ」
「お、お兄さま…」
「お前が、欲しい」
「はい…」
「抱きたい」
「抱いて…ください」
「さくらっ!」
「お兄さまあぁ〜っ!」
 と、
「てえめぇッ! 人のベッドん中で、なに気色悪い一人芝居してやがるッ」
 ごすっ!
 妄想しゅ〜りょ〜。
 シーツ越しに殴られた頭をさすりながら、シーツから顔を出すさくら。
「お、お兄さま…今夜のゲンコは、一段とはげしく…」
「なんだ? もう一発食らいたいのかっ?」
「…お兄さまがそうしたいのなら、さくらは…拒んだりいたしませ」
 めりゅうぅっ!
 最後までいい終えることなく顔の真ん中にゲンコを頂いたさくらは、そのまま目を回して気絶した。
「また、ヤなもんを殴ってしまった…」
 蓬はさくらに触れるのもイヤだったので、ヤツをそのままにしてテレビでも観ようとリビングに向かった。

 さくらが「あんな風」になってしまったのは、いったいいつのことだったろう。小学校に上がるまでは、もう少しマシだったように蓬は思った。
「おにいちゃん。だいすきっ」
 まぁ、幼稚園のころからそういって抱きついてきてはいたが、「抱いて」などとのたまったことはなかったはずだ。
「あのころはあいつも、それなりにかわいかったもんだったなぁ」
 今でも「他人」から見ればかわいいのかもしれないが、「他人」ではない蓬がさくらをかわいいなどと感じるには、鳥取砂丘の砂の数を数えるほどの労力を必要としていた。
 なので蓬は、今のさくらをかわいいと思おうとはしない。なんといっても、鳥取砂丘は広い。砂の数を数えるのは一生かかっても無理で、「人間諦めも肝心」だということを、彼は知っているからだ。
 蓬がリビングでテレビを観ていると、風呂から上がった両親が姿を見せた。
(チッ…いい歳こいて、夫婦揃って風呂に入るの止めろよな)
 そんな蓬の心情は両親には通じず、
「あら? さくらはどうしたの?」
 母がいった。
「もう寝たんじゃねぇの?」
 蓬は、「自分が眠らせた」という事実は告げなかった。
「そう…静かでいいわね」
 蓬が座る一人がけのソファの右斜め。三人がけのソファに、仲良く腰を下ろす朝比奈夫妻。と、父が、テレビをニュース番組に変えて口を開いた。
「ところで、蓬くん」
 父は蓬のことを「蓬くん」。さくらのことを「さくらさん」と呼ぶ。高校の物理教師という職業に似合った容姿の父が、息子に「くん」とか、娘に「さん」とかをつけて呼ぶことに、蓬自身は違和感をもっていない。
「なに?」
「さくらさんとは、もう、したのですか?」
 真面目くさった口調の父の言葉に、蓬は顔を引きつらせた。
「…な、なにってんだ? オヤジ…」
「いけないといっているわけではありませんよ。ですが、避妊はしてくださいね」
「まっ、あなたったら。さくらには、まだ必要ありませんよ」
「あ、あぁ、そうでしたね。それはよかったですね、蓬くん」
 楽しげに笑い合う両親。
「な、なにが、「それはよかった」だっ! なにがいいってんだっ! このバカオヤジがっ」
 ソファから腰を上げ、蓬は怒鳴った。信じられない。蓬は母はともかく、父には「それなりにまとも」だという感想をもっていたが、どうやら間違っていたようだ。
「蓬っ! お父さんになんて口をきくのっ。謝りなさいっ!」
 まぁ、父の言葉が「まとも」なものであったのなら、蓬だって母の言葉に従うことは吝かでない。だがこの場合、どう考えても蓬の怒りは正当であろう。
 拳を握りしめリビングを後にする蓬の背中に、
「まだ…だったみたいですね」
「蓬はあなたに似て、奥手な子ですから」
 取りあえず聞こえなかったことにして、蓬は自室に向かった。

「クソッ! この家には俺以外、変人しかいないのかっ」
 乱暴に部屋の扉を開ける…と、同時に、
「戻ってきてくださったのですね。お兄さまあぁっ!」
 バンッ!
 蓬は叩きつけるように扉を閉めた。扉の室内側で「なにか」がぶつかったような音がしたが、当然無視した。
「…幸せって、どこに行けば手に入るんだろうなぁ」
 蓬は一人暮らしを始める資金を溜めるための第一段階として、コンビニにアルバイト雑誌を買いに行こうと考えたが、財布を自室に置いてあるのを思い出した。だが目の前の扉を開けると、見たくもないさくらを目にすることになるのは必至だ。
 仕方がないので蓬は、さくらの財布から金を失敬しようとさくらの部屋に向かった。
「さくらの部屋」
 プレートがかかった扉。開けると同時に、蓬は壁一面に貼られた自分の写真(どう見ても隠し撮りだ。寝顔や入浴中のものもあった)を突きつけられ、部屋に一歩も踏み入ることなく扉を閉めた。
 なんだか無性にムカついたので、さくらに蹴りを入れるために蓬は再び自室に向かった。
 この夜さくらは、「死にそうなほどのはげしい愛」を蓬から頂いたが、翌朝にはなにごともなかったかのように、
「昨日のお兄さま、とてもはげしくて…きゃっ、さくら恥ずかしいですうぅ〜っ」
 などとのたまって、「おはようのキス」ならぬ「おはようのゲンコ」を、「愛するお兄さま」から顔面に頂いていた。
 …とまぁ、なにはともあれ、朝比奈家は今日も平和だ…と、いいなぁ。

 次回予告
 これまでの自分の行動が「もしかしたら、間違っていたのかも?」ということに、なんとなくだがようやく気がついたさくらは、また間違った方向に軌道修正を加える。
 そこでさくらがとった、別段意外でもなんでもない方法とはっ?
 次回「つるぺた天使・野望篇」
 天使の微笑みは、ほら、キミのすぐ隣に…。

 って、そんなの書く気ないけどね。



終わり