『らぶりぃえんじぇる☆マナ』

   第一話「らぶりぃえんじぇる。らぶりぃ(?)に登場」    人面石発見器


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 信じられない話だけど、世の中には信じられないことが、信じられないほどある。
 僕の目の前で床にあぐらを組んで座り、「ニューウェーブ時代劇」などと新しいのか古いのかよくわからない冠がつけられたテレビ番組を観ながら、ボリボリとスナック菓子(ポテトキッズのキムチ納豆味)を食い散らかしているヤツの存在も、ある意味そんな「信じられないこと」の一つだ。
「ねぇ…あたし、のど乾いたなぁ」
 勝手に乾いててもらいたいけど、ムシなんかすると、ヤツがどんな行動にでるか僕には想像もつかない。
 無言でソファを立ち、飲み物を調達するために冷蔵庫に向かう僕。その間もヤツは、「ゲラゲラ」笑いながらテレビを観ている。
「まってましたあぁ。釘抜きの山さんっ!」
 釘抜きの山さんが何者か僕は知らないけど、ヤツは急に飛び上がって、テレビに向かって拍手まで送っている様子だ。
 僕は冷蔵庫にあった「アップル九十四%ジュース(残りの六%はなんだ…? なんて、考えるだけムダだろう)」をグラスに注ぎ元の場所に戻ると、なんだか珍奇に飛び跳ねてるヤツに突き出した。
 ヤツは僕の手からグラスを引ったくり、
「ごきゅこぎゅこぎゅごきゅうぅ〜っ!」
 腰に手を添えて一気に飲み干す。
「ぷっはあぁ〜っ! やっぱオレンジジュースは最高ねっ!」
 アップルジュースだ(九十四%のな)。が、ヤツにはそんなこと、どうでもいいことなんだろう。この一週間のつき合いで、ヤツの「そういう性格」を僕は身をもって知っている。
 ヤツは当然のように空になったグラスを僕に渡し、再びテレビに(っいうか、釘抜きの山さんに)声援を送り始めた。
 僕はヤツに背を向け、一つため息を吐いた。

     1

 僕がヤツ、「らぶりぃえんじぇるのマナ(自称)」と出会った…というか、なんか頼んでもないのにヤツが僕の家にきたのは、ちょうど一週間前のことだった。

「あたしマナ。今日から、あんたの〈守護天使〉になったげる。とくべつに、らぶりぃマナちゃん…って呼んでいいわよ。感謝してよねっ」
 僕は高校三年生。八ヶ月後には大学受験を控えた、大切な時期だ。なのに学校から帰宅してみると、見知らぬ女の子(見たところ十歳前後だろうけど、僕には小学生くらいの子の年齢を見分けることなんてできない)がリビングの床一面にスナック菓子を食い散らかして、僕を迎えてくれ…なくてもいいのに出迎え(てくれやがっ)た。
 でも僕は基本的に紳士的な好青年なので、問答無用で「らぶりぃマナちゃん」とやらを外につまみ出したりなんて行動には出ない。取りあえず自分を落ち着かせ、
「キミ、どこの子かな? 勝手に他人の家に上がっちゃダメだって、ママや先生はいわなかったかな?」
 が、なにが気にいらなかったのか、彼女は頬を膨らませ、
「あんたっ! このあたしを、バカちん扱いしてるでしょっ!」
 と、大層ご立腹の様子だ。
 大きく、正にキラキラと輝く瞳。腰にまで届く真っ直ぐストレートな長髪は、キューティクルがバッチリだ。着ている物も、要所ようしょにフリルが施された純白のワンピース(ドレスのようにも見えなくない)といった、まぁ見た目だけは、「らぶりぃえんじぇる」といわれても不思議と違和感がないくらいかわいい子だ。
 でもかわいそうに、間違いなく精神を病んでいるようで、たぶん、海王星からの緑系の怪電波を受信しているんだろうな…と、僕は察した。
 なので僕はできるだけ優しい口調で、
「お家まで送っていってあげるよ。キミ…えっと、マナちゃんだっけ? お家は、どこにあるのかな?」
「……」
 沈黙の後、彼女はなんだか呆れたような顔をしてため息を吐く。
「あんた、バカちんでしょ? あたしの話、聞いてなかったの?」
 聞いていたさ。だから、こんなに譲歩した口調なんじゃないか。
「あたしの家は、ここ」
 ペタペタと床で足を鳴らす彼女。この時初めて気がついたけど、彼女は裸足だった。
「…ここは、僕のお家だよ。キミのお家じゃないでしょ?」
「ち・が・わ・な・いっ。今日からあたし、あんたと一緒にここでくらすの」
 紳士的な僕でも、そろそろ我慢の限界だ。
 とここで、僕は玄関の扉が開く音に気がついた。パートに出ていた母さんが帰ってきたのだろう。
「ただいまぁ」
 予想通り、母さんの声。
 僕は「ヤバイッ」…と思った。どう見てもこの状況は、僕が彼女を家に連れ込んだとしか思われない。同い年くらいの女の子ならともかく、こんな小さな子を家に連れ込むなんて、ロリコンだと勘違いされてしまう。
 いや、勘違いだけならまだマシだ。誘拐してきたなんて思われたら、一生の恥になってしまう。
 焦る僕。そもそも、なんで僕が焦らなくちゃならなかったんだ…とは、後になって思ったけど、その時僕は、本当に焦っていた。
「あら? 秋一郎。なに焦ってるの?」
 簡単に僕の焦りを見抜きながら、後ろから母さんが声をかけてきた。
 あぁ…そういえば、自己紹介がまだだったっけ。僕の名前は、梶村秋一郎(かじむら しゅういちろう)。年齢は十七歳で、これはさっきもいったけど、高校三年生の受験生だ。
 まぁそれはいいとして、なんとか言い訳しようと焦る僕に、
「マナちゃん。いい子にしてたかしら?」
「はい。おばさま」
 …なんだ、この会話は…?
「ちょ、ちょっと母さんッ。この子知ってるの?」
「なにいってるの秋一郎? 寝ぼけてるの?」
 寝ぼけてるのは母さんのほうだ。
「お母さんの知り合いの娘さんを、今日から家で預かることになったって、昨日いったじゃない」
 そんなのは初耳だ。
「聞いてないよッ!」
「…ボケたの? あなたまだ高校生でしょ? ボケるには、少し早いんじゃないかしら?」
 呆然とする僕をムシして、仲良く会話を始める母さんと彼女。そんな彼女の様子は、僕に接していたときとはまるで違い、なんだかいい家のお嬢さまのようにも見えた。

 なにがなんだかわからないうちに、夕食の時間。
 僕の家には父さんがいない。別に死んだってわけじゃなくて、外国に単身赴任しているだけだけど。
 いつもは母さんと僕、二人だけの夕食。だけどその日は…っていうか、その日から、異物が混入されていた。
「おばさまのお料理。とっても美味しいです」
「あら、そう? おばさん、嬉しいわ」
 異物と母さんが交わす、「微笑ましい」会話。
「ね、シュウ兄ちゃん? 美味しいね」
 異物が、キラキラと微笑みながらいった。
 シュ、シュウ兄ちゃんだあぁ? 僕には正体不明の異物に「シュウ兄ちゃん」などと呼ばれなければいけないような、悪いことをした憶えはなかった。
 そもそもコイツはナニモンなんだ? やっぱり僕には、コイツのことを昨日母さんに説明された記憶はないし、コイツが最初にいった、
『あたしマナ。今日から、あんたの〈守護天使〉になったげる。とくべつに、らぶりぃマナちゃん…って呼んでいいわよ。感謝してよねっ』
 とかいうセリフも気になっていた。
 もしかするとコイツ、ただの怪電波受信者じゃないのかッ? 〈守護天使〉とか「らぶりぃえんじぇる」とか自称するくらいだから、でも、まさか本物の「天使」ってことは…ない、よな…。
「どうしたの? シュウ兄ちゃん…」
 取りあえず、再び「シュウ兄ちゃん」と呼ばれたのは聞こえなかったことにして、
「なぁ、母さん」
「ん? なに?」
「この子…知り合いの娘さんって、いったよな」
「いったわね」
「じゃあ、どんな知り合いなんだよ」
 僕の質問に母さんは、少し考えるような顔をしながら、
「ど、どんなって…そ、それは…あ、あら? どなんな知り合いだったかし…」
 ビクンッ!
 母さんの肩が大きく跳ねた。そして、
「イトコ ノ イエ ノ ハスムカイ ノ イエ ニ スンデ イル トッテモ ラブリィ ナ オジョウ サン ヨ」
 油の切れたロボットのように、変な形にギシギシと動きながら答える。
 明らかに不自然な母さん(らぶりぃとか、珍奇な言葉使ってるし)。僕がとっさに隣に座っていた異物に目を向けると、なぜかヤツは椅子から降り床にしゃがみ込んで、なにやら「ごにょごにょ」呟いていた。
 …コイツ…コイツの仕業なのかッ?
 すぐには信じられなかった。でも僕は椅子から離れ、しゃがみ込んでいるヤツの後ろ、その小さな頭を見下ろす位置に移動する。その間も母さんは、ギシギシと動きながらなにやら呟いていた。
「…かわいい子でしょ?」
 ヤツが呟く。
「カワイイ コ デショ?」
 母さんが復唱する。
 …信じるしかないのか? 取りあえず僕は、家族を不当に操られている者の当然の権利として、見下ろしている小さな頭を蹴飛ばした。
 ヤツは「ゴツンッ!」と、額と床で「心地いい音」を奏でた後、
「な、なにすんのよっ!」
 結構元気に飛び上がり、僕に掴みかかる。
「お・ま・え・こ・そッ。母さんになにをしたッ!」
「へっ…? あ、あたしは…なにも、そうっ、なにもしてないわよ? な、なにいってるの? シュウ兄ちゃん」
 まだ僕を、「シュウ兄ちゃん」などと呼ぶのかッ。
「母さんを元に戻せッ!」
 ヤツは目をまん丸にして、
「…マ、マザコン?」
 殴ってやりたかったけど、見た目は普通…よりは高いレベルの、かわいい女の子でしかない。僕は拳をきつく握りしめることしかできなかった。
 「蹴るのはいいのか」といわれたら困るけど、殴るよりはマシだ…と思う。それに、それなりに足加減はしたつもりだ。
「と、取りあえず…ちゃんと説明してもらおうか」
 僕は怒りに震える声でなんとかそれだけ告げると、再び自分の席につく。母さんはぼんやりとした目で、上のほうを眺めていた。

     2

「しかたないわね。で、どこから話せばいいの?」
 僕の隣に座るマナがいった。
「その前に、母さんは大丈夫なんだろうな」
「あったりまえじゃない。あたし天使よ?」
 やっぱり「そう」なのか? だけど…
「そんなのは理由になってない」
「心配しなさんなって、マザコンさ…」
 僕の眼を見て、マナは口ごもった。
「だ、大丈夫。保証するわ」
 別にコイツに保証されても説得力はなかったが、僕にはその言葉を信じるしかない。もし母さんになにか後遺症でも残ったら、マナに「責任」をとってもらえばいい。まぁ、いろんな方法で。
「じゃ、話せ」
「…どこから話せばいいのかしら?」
「最初からだ。最初から」
「そうねぇ…最初からっていうと、まずこの世界を創造神ラーフさまがお造りになられたのは、今から…」
「そんな最初からじゃなくていいッ! それに、ラーフって誰だッ」
「なっ! ラーフさまを呼び捨てにするなんて、あんた、天使長さまにどんなインケンなお仕置きされても知らないわよっ。天使長さまって、ちょ〜性格悪いんだからねっ」
「知るかッ。そんなこと」
 この後延々と続く、マナの「いかに天使長がイヤなヤツか」という話は関係ないので省略するとして、マナが僕のところにきた経緯は、ヤツの話を信じるなら「こういう」ことだった。
 まず人間っていうのは、三人(三柱?)の神さまが造った「モノ」らしい。宇宙の創造神ラーフ。光の神シャーリィ。闇の女神アラン…っていうのが、その三人だ。
 その目的は、「食料」の確保。神っていうのは、「魂」を食べるらしい。「魂」といっても、マナがいうには「人間が考えている魂ってのとは、ちょっと違う」らしいけど、僕にはどうだっていいことだ。
 人間は、神々が効率よく「魂」を得るための道具。もしくは家畜として造られたらしい。ま、マナの話を信じるとしてだけど。
 で、取りあえず続けると、人間は死ねば天使界に「魂」が飛び、天使はその「魂」を精製して、神々に食料として捧げるのだそうだ。
 今では「力ある神」の数が減り、神々に人間を創り出すほどの「力」はなくなってしまった。なので今の人類が滅びれば、ほとんどの神も滅んでしまう。それは由々しき事態だ。
 なので神々は、数少ない「希望への可能性」(マナがそういっていた)を持つ人間を守るために、〈守護天使〉というものを人間の世界に派遣しているらしい。
 僕はその「希望への可能性」とやらを持った人間で、僕の〈守護天使〉に任命されたのが、マナなんだそうだ。
 とはいえ、僕としてみれば迷惑この上ない話だ。マナには、即刻天使界とやらに帰ってもらいたい。僕がそう告げると、
「あ、あんた、あたしになにか恨みでもあるのっ?」
 そのはこっちのセリフだ。
「このままなにもしないで帰ったりしたら、あたし、天使長さまにいびり殺されちゃうわよっ!」
「知らん。勝手にいびり殺されろ」
 とは、いえなかった。いえないのが、僕の甘いところだ。マナの話からすると、天使長っていうのは相当陰険らしい。マナもだけど、天使ってはろくなもんじゃない。
「それにあたしは任期が終わるまで、ずっと人間の姿なの。力もほとんど使えなくなってるから、帰りたくても帰れないわ」
「任期があるのか? いつまでだ」
「…さぁ?」
 僕は細くした眼から、冷気を放った。
「あっ。で、でも、そんなに長くないと思うわっ」
「どのくらいだ」
「どのくらいって…そ、それは…」
 マナは僕から視線を外し、
「…五十年くらい…かな?」
 ぼそっと呟いた。
「五十年だとッ?」
「へ? き、聞こえたの?」
「当たり前だッ!」
「ち、違うのよっ。あ、あんたがもっと早く死ねば、その分短くなるからっ!」
 呆れて声も出ない。僕は五十年も、こんなヤツにつきまとわれるのか? 考えるだけで、絶望的な気分になった。

 二時間ほどの説明。得られたのは、頭が痛くなるようなことばかり。唯一救いだったのは、説明が終わるころ、突然母さんが普通に戻ったことぐらいだ。
「あ、あら? あたし、いつの間に眠っていたのかしら…」
 冷め切った夕食。母さんは「?」を一杯にし、「ごめんなさいね」と何度も繰り返しながら、やっぱり「?」一杯で冷めた夕食を片づけていた。
「おい」
「…なに?」
「母さんの記憶。なんとかできるんだろうな」
 僕は母さんが「しなくてもいい悩み」を抱えるのがイヤだったので、夕食での記憶をマナになんとかでるか訊いた。
 実は母さんがマナのことを、「家で預かることになった知り合いの娘」だと思い込んでいたのは、マナの「力」の仕業らしい。
 マナは僕に会う前に母さんに会い、「そういう記憶」を刷り込んでおいたそうだ。
「なぜ、僕の記憶は弄らなかったんだ?」
 その質問にマナは、
「あんたの精神に、あたしの力は通じないのよ。だから、記憶を操作したりはできないの」
 僕だけではなく、「希望への可能性」を持った人間の「精神」に、どんな天使だろうと干渉することはできないらしい。
「神さまたちならできるかもしれないけど、そんなことで神さまが力をお使いにはなられないわ。できるだけ人間には干渉しない。それがラーフさまのお定めになられた、神さまたちの決まりなの」
 マナの言葉使いは、神々のことになると少し丁寧になる。こんなヤツでも神々を敬っているのか、神々を蔑ろにして、天使長にお仕置きされるのが相当恐いのかのどちらかだ。
 たぶん、後者だろう。
 マナは、
「明日になれば、おばさんの記憶からこのことはなくなってるわ」
 と自信満々にいい切った。僕はその言葉を信じることしかできなかったので、一応信じることにして、自室に戻った。

     3

 ことが起こったのは、その夜僕がお風呂から上がって、部屋で参考書を眺めていたときだった。
「くっ…くくっ…」
 どこから入ってきたのか、突然マナが僕の目の前に立っていた。
 それも、裸で…。
「くく…はは、あ〜はっはっはあぁっ!」
 大口を開けての高笑い。怪電波の受信中か? と、思った瞬間。
「あんたがこうまんちきでいられるのも、これまでよっ!」
 誰が高慢知己だ。それはお前だろッ!
 僕がそれを口にする前に、
「あんたなに冷静っぽさげに、のほほんってしてるのかしら?」
「どういう意味だ?」
「あたしのこのないすばでぃを見て、なんとも思わないの?」
 別に子供の裸なんて、なんとも思わない。前くらい隠せよ…とは思うが、恥ずかしがるほどのことじゃない。こんなのは、ただの線だ。
 それよりも「ナイスバディ」って、コイツはなにをいってるんだ? 胸はない(多少脹らんではいるようだが)し、色気などは欠片もない。
「はっ! ホントにあんたはバカちんね」
 僕に指を指して、マナがニンマリと笑う。
「ここであたしが、きゃあぁっ! シュウ兄ちゃんやめてえぇっ! な〜んて叫んだら、あんたどうなる?」
 ヤツの指摘に、僕は事態の深刻さをやっと悟った。
「おばさん飛んでくるわね。であたしが、シュ、シュウ兄ちゃんがいいことしようって…だからあたし、遊んでもらえるのかなって…なのに、なのにいぃ…う、ううぅ…」
 マナは演技派の子役を気取るかのように、手で顔を覆って鳴き真似を始めた。が、それも数瞬のことで、
「な〜んていったら、あんた終わりね。ロリコンのヘンタイ決定。マザコンだけじゃなくロリコンでもあるなんて、あんたさいてぇ」
 勝ち誇ったように「クスクス」笑うマナ。すぐさま、今度は本気で殴ってやろうかと思ったが、残念なことに僕は無闇に動けない。
 動いたりしたら、ヤツがどうでるか予測がつかない。
「お、お前は、僕の〈守護天使〉じゃなかったのか…」
「そうよ。でもあんたに、しゅどうけんまで握られる必要はないでしょ? 天使長さまだけじゃなく、あんたにまでいいようにこき使われるようになんて、あたし、絶対なりたくないのよね」
 クソッ! そういう態度に出るのか、コイツはッ。
 天使が全部「こう」なのか、それともマナが異色なのかはわからないが、少なくとも悪知恵で、僕がマナに敵わないことを悟らされた。
 コイツは天使じゃなくて、悪魔だ。
 僕はマナを睨みつけた。
「あら? なんて反抗的なおめめなのかしら? マナ…シュウ兄ちゃんこわいぃ。おばさま呼んじゃおうかなぁ?」
 煮えくりかえる腸。だが…
「なにが、望みだ…?」
「ようやく理解できたようね。じゃ取りあえず、「リゼ」の欠片でももらおうかしら」
 「リゼ」というのは、要するに僕が秘めている「力」のことらしい。夕食時の説明でも、何度か出てきた言葉だ。
「あんたには理解できないでしょうけど、あたし、〈左の翼〉候補生なの。あんたの「リゼ」で「力」をつけて、あのいけ好かないラミィに差をつけるのよっ」
 確かに僕には理解できない。〈左の翼〉とはなんなのか、ラミィ…というのは、多分マナのライバルなんだろうけど、初めて聞く名だ。
「…お前、帰れないんじゃなかったのか? そのなんとかの候補生なのかもしれないが、帰れないんじゃ、意味ないだろ」
 マナは一度、「ふっ」と僕をバカにしたような笑いを漏らし、
「ちっちっち…それがバカちんたるあんたの浅はかさ。たかが五十年なんて、あたしにしてみればどうってことないのよね。あたし今、人間の年齢で七百八十歳くらいだし。天使の年齢でなら、十周期目だけどね。ま、天使年齢十歳ってとこね。
 で、〈左の翼〉選別試験があるのは、あたしが天使年齢で十三歳になったら。だからここでの五十年なんて、大したことないのよ」
 …ということは、コイツ若く見えるけど、僕より年上なのかっ? い、いや、天使年齢とかいうわけがわからない計算だと十歳だから、やっぱり年下か?
「じゃ、そういうことで」
 パチンッ
 器用に指を鳴らすマナ。と、
(な、なんだ。動けないッ)
 僕の身体が、石になったかのように固まった。それに、声も出ない。
 間違いなくマナの仕業だ。だが僕には、「力」が通じないはずじゃなかったのかッ。
「くく…バカちんめ。確かに精神には通じないけど、肉体は別なのよ」
(考えてることが読まれてる?)
「とーぜん。だってあたし、天使だしね」
(クソッ! バカにしやがって)
「バカはあんたよ。あたしを、ただらぶりぃなだけのえんじぇるだと、誰がいったのかしら?」
 確かに、誰もいってない。もちろん僕も含めて。
「わかったら、おとなしくしててね」
 きゅぴーんっ!
 マナはその瞳に「変な光」を宿らせて、ペタペタと僕に近づいてくる。
(なにをする気だッ)
「いったでしょ? 「リゼ」を分けてもらうのよ。だいじょうぶ、いたくしないから…」
 全然説得力がない。もしかして、それって痛いのか?
 マナは椅子に腰掛け動けなくされた僕を見下ろ…しはしていない。座っている僕と立っているマナの目線の高さは、ほぼ同じだ。
 と不意に、マナが僕の足下にしゃがむ。そして、
 グニュ
(な、なにしやがるッ!)
 グニュグニュ
(止めろッ!)
 マナは少し眉をひそめ、
「…変だな? 人間のオスは、らぶりぃなメスの裸を見たら、性器をカチカチにしてじゅんびばんたんだって、本に書いてあったのに…」
 マナはそんな奇妙というか、ある意味真実を呟きながら、僕の股間を無造作に揉みしだいた。
「ま、まさかっ! あんた、ホモ?」
(違うッ!)
「そ、そうよね…だって、マザコンだもの」
(それも違うッ!)
「へ? じゃ、なんで?」
 それはマナがらぶりぃ…かもしれないが、僕がロリコンじゃないからだ。僕は、まぁこんなこというのは恥ずかしいけど、少し年上の女性にしか異性を感じない。
 マナがいくら(外見だけは)かわいかろうが、らぶりぃだろうが、準備万端になるはずがない。
 …と、このときはそう思っていたけど…人間、結構簡単に「崩れる」ものだと、これから一週間後の僕は知っている。
「まぁいいわ。あたしだって、人間のオスのことは、それなりに勉強してきたんだから」
 マナはいうと、僕のズボンのベルトを勝手に解き、無理やりずり下ろした。ズボンに巻き込まれたトランクスも、あっさりと膝したにまで落ちる。
「ふ〜ん。これが、人間のオスの性器なんだぁ。本で見たのと少し違ってるけど、個体差があるって本にも書いてあったし、まっ、問題ないもんだいない」
 僕の下半身を観察するように見つめるマナ。僕は恥ずかしいやら情けないやら、こんなとこ母さんに見られたら、どうするんだっ? で、涙が出そうだった。
(お、おい、マナ)
「らぶりぃマナさま」
(……)
「だ・か・ら・らぶりぃマナさまって呼んでよねっ。あんた、自分の立場が、まだよくわかってないようね」
 マナが、力なく垂れた僕の息子をぴんっと指で弾く。固まっているのに痛覚はそのままのようで、ズキッとした痛みが僕の背筋を走り抜けた。
(なにしやがッ)
 ぴんっ!
 こんどは袋を弾きやがった。僕の頭の中に火花が散った。
「くく…やっぱりここが、人間のオスの弱点のようね」
 あ、悪魔めッ!
「でも、あんまりイジメたらかわいそうね。壊れちゃってもこまるし」
 そういうとマナは、唐突に僕の息子を口に含む。熱い…と、僕は感じた。
 くちゅくちゅと、息子を捏ねるように舌を動かすマナ。情けないことに、僕の息子は数瞬で準備万端になっていた。
「うっ…げ、げほっ」
 マナが元気になった息子を外に放り出し、むせ返る。
「な、なによっ。こんなに大きくなるなんて、本には書いてなかったわ」
 それにしても、コイツが見たとかいう本は、どんな本なんだ? ち、違うッ。それよりも、コイツはなにがしたいんだッ?
(マナ)
 キッと、僕を睨むマナ。が、元がかわいい外見なだけに、さして迫力はない。しかし僕は袋を弾かれた痛みを思い出し、
(…ら、らぶりぃマナさま)
 と、自分に妥協していい直した。
「なによ」
(お前…じゃない、らぶりぃマナさまは、なにがしたいんだ?)
「…何回もいわせないで。だから「リゼ」を…」
(それはわかった)
「じゃ、なに?」
 僕は少し躊躇して、
(そ、それと今のは、どんな関係があるんだ? 「リゼ」とかいうのが欲しいのなら、そんなことしなくても分けてやるから)
「やっぱ、バカちんはバカちんね。「リゼ」は精気に含まれるの…って、本に書いてあったわ」
(…どういうことだ?)
「人間のオスの精液とかいうものを飲むのが、「リゼ」を吸収する一番の方法ってこと…これも本に書いてあった」
(せ、精液を飲むだとッ?)
「そうよ。だから人間のオスが精液を出す方法も、あたしは本で勉強してきているのだ」
 なぜか威張ったようにいうマナ。
 でも、ということは…。
(お前、最初から僕の「リゼ」が目的だったなッ! 〈守護天使〉の話もウソなのかッ)
「それはホント。でも誰が見返りもなく、〈守護天使〉なんてめんどくさい仕事引き受けるもんですか…ってなもんよ。
 でも〈守護天使〉になって、「希望への可能性」を持つ人間から「リゼ」を分けてもらったっていう天使の話は、けっこう聞くのよねぇ」
 マナはニンマリと笑い、
「っていうわけで、あんたの精液飲ませてもらうわっ!」
 再び、まだ元気なままの僕の息子に吸いついた。

     4

 ちゅ…くちゅ…ん、んく…ぅん、ちゅぱっ
 室内に響く湿った音。マナが小鼻を鳴らして息を繰り返す度、僕の思考力が奪われていく。
 身体が、マナの口に含まれている部分から溶けてしまいそうに感じる。だけど感覚は敏感で、油断すると僕は、その初めての快感にあっさりと屈服してしまいそうだった。
(や、止めろ…)
 思うのに、止めないでくれ…と、僕の「本心」が叫んでいた。
 自分で「する」のとは全く違う快感。「あんな」のはお遊びだ。「これ」は「あんな」のとは違う。
 凄く…いい。
 こんなに気持ちいいことが、世の中にあったなんて…。温かくて、でも刺激的で、言葉にならないほど、いい。
 先端をこね回す、やわらかな舌の蠢き。吸いつく唇の感触。先端を越えた部分に軽く当たる、歯の感覚。
 なにもかもがよくて、悔しいけど、「最高」だった。
 と不意に、マナが息子を口の外に出す。
(…どう…して)
 思った…いや、感じたとき、股の間から僕を見上げるようにして、
「くすっ」
 マナが笑った。僕にはその微笑みが、「本物の天使」の微笑みに見えた。見えてしまった…というほうが、正確かもしれない。
「気持ち…いいんでしょ?」
(……)
 答えられない。否定しきれなかったから。
 マナは外に出した息子を両手でそっと包み込み、その先端に何度もキスを繰り返す。
「こうすると、いいんだよね? でも、こっちのほうが…」
 れろんっ
 先端の裏筋。唾液がたっぷり塗された舌が走る。ゾクッとした電流が、つま先から脳天を突き抜けた。
 見上げるようにして僕に視線に向けたまま、同じ動作を何度も繰り返すマナ。その口の周りは唾液で光り、形のいい小鼻がヒクヒクと動いている。
(コイツ…なんで、こんなにかわいいんだ?)
 思ってしまったと同時に、
 どぷっ!
 僕は堪えきれずに、マナの顔の真ん中に放出していた。だがそれだけでは収まらず、
 ぴゅ、どぴゅぴゅ、ぴゅ、ぴゅ…
 止まることを忘れたように、僕の息子がマナに放出を続ける。それらは全て、マナに命中した。
「きゃっ! な、なにっ? あついっ」
 マナは驚いたように目を見開いたまま、床にお尻をつけて後ずさる。白い半液体がマナの頬を伝い、薄い胸に零れた。
 ゾクッ…とした。
 小さくて、幼くて、なんだかわからないくらいにかわいい女の子。そんなマナの顔を、身体を、僕の「欲望」が汚している。
 罪悪感…ではなく、汚してはいけない物を汚してしまったときのような、歪んだ征服感と満足感を、僕は感じていた。
 そして僕の息子が、最後の放出をマナの膝に届かせて終える。最初の放出を受けた顔はもちろん、前髪も胸元も白く化粧を施したマナに、僕は爆発した直後だというのに、溢れるほどの「欲望」を覚えた。
 したい。もう一度。いや、何度でも。何十回、何百回…マナを犯したい。突っ込んで、中に出したい。マナの穴という穴に突っ込み、犯したい。
 黒い「なにか」が、僕の奥から沸き上がる。
「ちょ、ちょっと、これじゃ飲めないじゃないのっ。ちゃんと口の中に出して…」
 マナはハッとしたように、「自分に覆い被さってくる僕」を見つめた。
「な…なんで…」
 僕は「自由になった身体」を使い、マナを床に押さえ込む。なぜ動けるようになったのか、そのときの僕は考えもしなかった。
「コイツを犯したい」
 それだけしか、考えられなくなっていた。
 今考えても不思議だ。僕は自分でも、自分を制御できるほうだと思っていたし、今も思っている。だけどあの瞬間だけは、僕は「僕」を見失っていた。
 そして僕はマナを押さえつけた以降の記憶を、あれから一週間経過した今でも、「ちゃんとした形」で取り戻せないでいる。

 目が醒めた。僕は自分のベッドの中だった。いつの間に着替えたのか、パジャマを着ていた。
(夢…だったのか?)
 生々しく身体に刻まれた、マナの口腔内と舌の感触。思い出すだけで身体の中心が疼く。とても夢だったとは思えなかった。
 僕は飛び起きて、ベッドから降りた。部屋を出てダイニングキッチンへ。この時間なら母さんはもう起きて、朝食を作っているはずだ。
「母さんッ」
 僕はなにに「恐怖」していたんだろう。自分でもよくわからない。
 マナを犯してしまったかもしれないということ? それとも、マナの存在自体が夢だったのではないか…と、いうこと?
 僕は自分でも理解できていない「恐怖」に焦り、ダイニングに飛び込んだ。
「あら…秋一郎。今日は早いのね。やっぱり、お兄ちゃんになると違うわね」
 お兄ちゃん。マナの存在は、夢ではなかったのか。
「ちょうどいいわ。マナちゃん、起こしてきてくれない?」
 僕の中の「恐怖」が半減していた。それでも僕は、気を抜くと崩れてしまいそうになる膝を懸命に動かし、昨日の内になぜか(といっても、マナの仕業なんだろうけど)マナの部屋ということになっていた、(元)父の書斎に向かった。
 コンコン
 ドアをノックする。返答はない。僕は躊躇いなくドアを開けた。
 マナは…いた。僕の物より一サイズ小さなベッドで、毛布にくるまって眠っていた。
「マ…ナ」
「…うみゅう〜ん」
 返答なのかなんなのか、マナがそんな「音」を発して寝返りをうつ。
「マナッ」
 僕は昨日の今日で不自然なほどに整えられていた、「おとめちっく」なマナの部屋の様相に気づくことなく、ベッドで眠るマナの肩を揺さぶった。
「…ふにゃ…?」
 寝ぼけたように(実際、寝ぼけていたんだろう)うっすらと目を開けて、僕を見るマナ。こうしてみると、ホントにマナはかわいかった。もちろん、見た目は…ってことだけど。
 僕はマナの、取りあえずは無事な姿に脱力した。マナが惨い姿でなくて、ホントによかったと思った。
 僕の中から「恐怖」が消え去る。安心。泣いてしまいそうだった。
「マナ…起きろ。朝だぞ」
「…なにぃ? もう、酸っぱいのいやよぉ…ネコは、クマより強いんだからね…」
「なにいってるんだ? 起きろ」
 僕が再びその細いかたを揺すろうと腕を伸ばすと、
 バッ!
 マナはバネが跳んだように、上半身を直角に曲げて起きあがった。そして僕に目を向け、
「あっ…ああぁぁあぁ〜っ!」
「な、なんだッ? どうしたマナッ!」
「もう朝じゃないいぃっ! ど、どうしようっ。昨日のお祈り忘れてたあぁ〜っ!」
「…はぁ?」
「はぁ? じゃないわよっ! 天使長さまに知られたら、減点一じゃないのおぉ…ど、どうしてくれるのっ! あんたのせいよっ!」
「ぼ、僕のせいなのか?」
「そうよっ! あんたが、あんたが…くうぅ〜っ」
 今にも悔しくて泣き出しそうな顔をするマナ。下唇を噛んで、眉間にしわを寄せている。
「あんたがあたしに、無理やりしようとしたからなんだからねっ!」
「……」
 ウ、ウソだろ…? 「あれ」は、夢じゃなかったのかッ?
「おいマナッ!」
「なによっ!」
「僕はホントに、お前にそんなことしたのかッ?」
「しようとしたのよっ!」
「じゃ、じゃあ…してないんだな?」
「してないわよ。だけどあたしびっくりして…動けなくしたはずなのに、あんたが急に動いたりするし、それに…」
 マナが言葉を句切る。
「それに…なんだ?」
「な、なんでもないっ。驚いただけよっ!」
「驚いて、お前はどうしたんだ? 教えてくれ」
 マナは急にソワソワした様子で、
「お祈り忘れたこと…天使長さまに、内緒にしてくれる?」
 どういいつければいいんだ?
「あ、あぁ、約束する」
「…それに怒っても、もう遅いんだからね。あたしが悪いわけじゃ…」
 僕はマナの言葉を遮り、
「お前はなにも悪くないし、天使長さまにも告げ口しない。だから、教えてくれ」
 知りたかった。僕がマナになにをしてしまったのか。ホントにマナが無事だったのか。恐いけど、知りたかった。
「じゃ、じゃあ…う〜ん…でもなあぁ。ホントのホントに、怒らない?」
「怒らない」
「…ちょっとしたオチャメなんだけどぉ…あんたの心臓、少しだけ止めたの…」
 …そ、それって、殺したってことじゃ…。
「す、少しだけ、ホントに少しだけよっ? で、あんたがおとなしくなったから、心臓動かしてそのままに…」
「……」
 言葉が出ない。だけど…。
「怒って…る?」
 探るような視線を、上目使いに僕に向けるマナ。どうやら僕の心臓を止めたことを天使長知られたら、相当ヤバイことになるのかもしれない。
 だったら、黙っていることもできたはず。なのにマナは、僕に話した。
 どうしてだろう? わからない。それになぜ、僕はパジャマを着て、ベッドで寝ていたのかもわからない。
 だけど、僕はいった。
「怒ってないさ。お前になにもなくて、よかった…」
 本心だった。僕がマナに、確かに性格はなんともいいようがないけど、見た目はこんなかわいくて、小さな子に、非道いことをしなくて済んでよかった。
 マナが…無事でよかった。
「本気で、いってるの?」
「お前、心が読めるんだろ? だったら、読めばいいじゃないか」
「…う〜ん…ホントに、ホントみたい…」
「ホントにホントだからな」
「あんた、思ってたよりいいヤツね。天使長さまより、百七十万倍はいいヤツだわ」
 それは、喜んでいいのか?
「…驚かせて、恐い思いをさせて悪かったな」
「いいよ。もう終わったことだし、あたしも、あんたの心臓止めちゃったから…」
 微笑み。子供っぽく、そして純粋な微笑みを、マナが僕に向けた。
 コイツ、こんなに優しく笑えるのか…マナの微笑みに僕は、胸をギュッと締めつけられた。でもそれは、とても心地よい「苦しみ」だった。
「これからは、する前にちゃんといってよね。あたしだって初めてだし、まだ人間の身体になれてないんだから、ちょっとは…するのこわいんだからね。最初は痛いって、本に書いてあったし…」
「…は?」
「だ・か・らっ! 別に、赤ちゃん作ることするのは、いいの。どうせあたしの身体は、赤ちゃん産めないようになってるから。
 いったでしょ? 人間のオスのことは本で勉強したって。
 実は守護対象者を喜ばせることも、〈守護天使〉の仕事の一つなの。
 あたしが読んだ「守護天使マニュアル」には、人間のオスが喜ぶことも、メスが喜ぶことも、どうやって喜ばせるかも、ちゃんと詳しく書いてあったわ。
 人間のオスは、赤ちゃんを作ることをするのが一番嬉しいって。だからあたし、その部分は暗記するまでじっくり読んできたんだから。
 それにこれなら、てっとりばやく精液がもらえるって思ったしね。
 だけど、ほら? 最初は痛いん…でしょ? あたし、痛いのは嫌いなのよね。だから、口でなら痛くないかな…って」
 当然にようにいうマナ。僕は唖然となった。
「それに精液があんなに熱いなんて、本に書いてなかったわ…情報不足なのよ、あの本。帰ったら、ちゃんと報告しなくちゃ」
 そ、そうだっ! 思い出したぞ。コイツ、僕を脅したんだったッ。
 僕は一瞬カッとなった。でも、
「ま、いいか」
「えっ? なに?」
「なんでもない」
 コイツは、コイツなりに必死なんだろう。なりたいものもあるようだし、プライドも高そうだ。
 もしかしたらマナは、僕の〈守護天使〉っていう仕事に不満があるのかもしれない。今一〈守護天使〉の仕事がどういうものかわからないけど、あまり名誉ある仕事じゃないのかもしれない。
 マナにしてみれば、「僕なんか」ってことなんだろうな。僕なんかの〈守護天使〉に、どうして自分がならなくちゃいけないのか…って、だから僕なんかのいいなりになりたくない。主導権は自分が握っていたい。僕の弱みを握り、上位に立ちたい。
 そう…考えているんだろう。
 そのとき、
「二人ともなにしてるの? 朝ご飯冷めちゃうわよ」
 ダイニングの方から、母さんの声が小さく聞こえた。
「朝ご飯だって」
「聞こえたわよ」
 僕とマナはどちらともなく、笑った。

 これが僕と自称らぶりぃえんじぇるのマナとの出会いで、こうして「僕たち」は、同じ家で「家族同然」に暮らし始めることになった。

     5

 で、あの出会いから一週間。僕はマナに、イヤというほど振り回される毎日を送ってきたし、送っている。
「さぁっ! お楽しみた〜いむっ」
 マナのその言葉で、唐突に始まる「お楽しみタイム」。場所は僕の部屋に決まっていたが、時間は決まっていない。
 勉強中でも睡眠中でも、ヤツには関係なしだ。ヤツは僕の「リゼ」が欲しくなると、「お楽しみタイム」と称して唐突に現れる。それも、例外なく裸でだ。
「…どうしていつも裸なんだ?」
 訊くと、
「なんとなくよっ!」
 自信満々の返答。
「ほら、さっさとズボンぬぐっ。それとも、らぶりぃマナちゃんにぬがせて欲しいの?」
 あの日からマナは、自分のことを「らぶりぃマナさま」と呼べとはいっていない。僕は、「マナ」と呼び捨てだ。
「はいはい」
「はいは一回っ!」
 最初は抵抗があった。でも、こう短期間に何度も繰り返すと、マナの前に息子を晒すのにも抵抗がなくなった。
 それにマナの口での行為は、とても…気持ちがいい。
 息子と戯れているマナは、それ以外のときとは比べ物にならないくらい魅力的な顔をする。いつも通りかわいくて、それに加えて、少し大人っぽくて…とても、なんというか…きれいだ。
「気持ちいいでしょ? 秋一郎?」
「あぁ、すっごくいい」
「えへへ…」
 褒められ、照れた子供の顔。
「もっと、気持ちよくしてあげるね。秋一郎が、もいっかいしてってお願いするくらい、気持ちよくしてあげる。嬉しいでしょ?」
「嬉しい…当たり前だろ?」
「そうよね。あったりまえよねっ」
 我がままで、プライドが高くて、でもかわいくて、少し素直なところもあったりして、僕はどうしても、どんなに振り回されても、マナのことが嫌いになれない。
 僕と二人きりのとき以外、マナは五十匹くらい猫をかぶる。「どうしてだ?」と訊くと、「そのほうが都合がいいからよ」…と返ってきた。
「僕はいいのか?」
「今さら秋一郎の前でいい子ぶったって、仕方ないじゃない。それにあたし、最初から決めてたの。秋一郎には、ありのままのあたしを受け入れてもらうんだ…って。
 それでダメだったらあたし、〈左の翼〉になんて絶対なれないもん」
「…どうして?」
「ひ・み・つ」
「僕にもか?」
「秋一郎だからよ。秋一郎だから、なんだか教えたくないの」
 そういってはにかんだマナは、やっぱりかわいかった。
 子猫のように「曖昧」で、とらえ所がないマナ。
 自分から「一緒に買い物いこ?」と誘うこともあれば、僕が誘うと「めんどくさい」と一言だったり、なのに僕が一人の買い物から帰ると、「おそいっ!」と理不尽に怒っていたり、ホントによくわからない。
 秘密主義だと思うと、変に素直だったりするときもある。なにを考えてるのか、それともなにも考えていないのか…。
 二人だけのときと、それ以外のとき。
「秋一郎」
「シュウ兄ちゃん」
 と、マナは僕を呼び分ける。
 それは完璧な呼び分けで、混同したことがない。呆れるくらいの「猫かぶり」。
 三日前からいき始めた小学校。そこでもマナは、優等生(を演じている)らしい。ちなみにマナは、小学四年生だ。
 最初マナは、学校にいく気はなかった。だけど、
「マナはこれから、人間として暮らすんだろ? だったら学校にいかないと、変に思われるぞ」
「う〜ん…しょうがないなぁ。あたしが人間の勉強しても、意味ないんだけどなぁ。でも秋一郎がいうなら、いってあげてもいいかな」
 といって、学校にいくことを承諾した。多少、マナの人間界に対する偏った知識のせいで問題もあったけど、致命的な失敗には(幸運にもまだ)いたっていない。
 でも「なにか」あったら、マナの「力」でなんとかなるとは思っているんだけど。
 僕はこれから先、この自称らぶりぃえんじぇると「つき合って」いくことに、正直不安はある。だけど、どこかで楽しみだとも感じている。
 悔しいけどやっぱり、僕はマナのことが気に入っているんだろう。
 我がままで、理解不能で、プライドが高くて、でもたまに素直な、とびきりかわいい「自称らぶりぃえんじぇる」のことが…。


 次回 『らぶりぃえんじぇる☆マナ』

  初夏の風が「少女」の頬をなで、天空へと昇っていく。
  新緑と生まれたての季節。通り過ぎる時間と降り積もる記憶。
  やがて消え去り、忘却の鐘の音に埋もれるとしても…。


第二話 「Find It!」