「ダブル(その五)」 Aristillus
−25−
違う生物とコミュニケーションを取るという事は、どういう事だろう。もし、同じ知性を持ち合わせるならば、全てうまくいくだろうか。俺はそうは思わない。
「奴はどうした」
俺は腕を組んだまま、ようやく寝室のドアから現れたミチをにらみつけた。
「まず、謝っとくべきなんでしょうね。ごめんなさい。シギルは今、おびえて小さくなってるわ。小さな子供みたいに」
「お前に訊くより先に、奴をここへ連れて来い」
「私が説明するわ。彼女を今連れてきたら、あなたは何をするか分からない」
「何かしたのはあいつだ! お前もそうだが。奴の口から説明させるのが、どうしてできない?」
「シギルのことは、私はあなたよりずっと詳しい。彼女は傷ついてる。これは治療のチャンスなのよ」
「治療だと!」
美和子ちゃんにあんな事をしたのが、どうして治療になるってんだ。それに俺がききたいのは、なんでこいつらがあんな事をしたかじゃない。なんで美和子ちゃんや真紀にあんな事をしたかだ。
「ふざけるな! そんなにその体をおもちゃにしたければ、てめえらが出てる時にすればいいだろうが! それだって許せねえが、なんでその上、美和子ちゃんや真紀を巻き込まなきゃならねえんだ!」
「……最初私は、シギルが何をしたのか分からなかったの」
あいかわらず、棒読みのようなミチのセリフには、感情が込められてない。
「昨日の午前中の事よ。彼女はずっとあなたと繋がって、何か複雑な作業をしてるみたいだった。あなたはあの時の事、何か憶えてない?」
そういや、とても気分良く目が覚めた。体も軽かったし、頭もすっきりしてた。
「いや。いやにすっきりした感じはしてたが、それだけだ。何も憶えちゃいない。あの時、奴が何かしたのか」
「私は何かしてるのは知ってた。脇で見てたんだからね。あなたが繋がる事を受け入れたから、彼女はすぐにまた、この前の続きをするんじゃないかと思ってた」
それは俺も思った。しかし、奴は、じゃあ何したんだ?
「私は繋がりには入れない。彼女が受け入れない限りね。だから本当は具体的な事は知らないんだけど、彼女はあなたの体に改造を加えたのよ」
なんだって?
俺は長い事、口を開けて真紀を見つめていた。俺は何も感じない。何も変わった所はない。力が増した訳でも、頭に話しかけてくる存在が感じられる訳でもない。
「野々村さん、大丈夫?」
俺は我に帰ると、コーヒーを淹れに流しへ向かった。思考停止したまま、コーヒーをブラックのまま一口飲む。まさか、俺の体の方に奴が手を出してくるとは思わなかった。美和子ちゃんや真紀の事を心配しながら、今更ながら自分だけは大丈夫と思っていた自分に気が付いて、俺は苦笑いを浮かべた。
「ああ、……すまん。驚いただけだ。それで、続けてくれ」
「……大丈夫?……シギルはあの後、すごく消耗してたわ。体力もそうだけど、物理的にもね。たぶん、自分の細胞を切り崩しながら、それをあなたに使ったのよ」
「なんでそんな馬鹿な事を!」
そういえば、あの後随分と奴は静かだった。口数は少なくなって、目立たなくなっていた。
「今のあなたは、シギルと一心同体よ。もちろん彼女から見てだけど。だから、いつでもあなたとの繋がりを保つために、皮膚全体に改造を施したんだわ」
触れた時おかしくなったのは、彼女たちに問題があったんじゃなくて、俺の体のせいだったのか!
「……それが、どうしてあんな事になるんだ。なんで触っただけで性的快感が起こる事が、奴と俺の繋がりになるんだ!」
「たぶん、本当の目的はそれじゃないんでしょ。色々と実験しながら、彼女も探してるのよ」
「何を探してるってんだ! 奴を呼べっ、俺が訊く!」
「もう一つの話を聞いて。野々村さん」
ミチは頑として譲らない。俺は十分こいつらに腹を立ててはいたが、まずは起こった事を全て知らなきゃならない。たとえそれが、俺を地獄へ突き落とすような事でも。
「……まだなんかあるのか」
「シギルは我々ノルボジナでも、普通の者じゃないって、知ってる?」
「奴に聞いた」
「なら話が早いわ。彼女は大変珍しい存在なの。そのせいで、精神に異常な所がある。病気ね」
「お前の言いたい事は分かる。俺はシギルの本体を見ている。外見の問題をお前らがどう考えてるのか知らないが、シギルが俺なんかに恋だ愛だという感情を持つ事自体、本来ありえない」
人が犬に欲情するようなもんだ。平たく言ってしまえば変態趣味という事だが、奴の場合はもっと切実なものだ。
「我々にはもともと視覚は備わってないわ。無数の手で感じる触覚がその代わり。ただし、乗り移る体の視覚は常に利用するから、美醜の感覚が無いわけじゃない」
「俺は美しいか?」
「いえ、別に」
「そうだろう。俺とお前は違う種類の生き物だ。俺は奴に人間のやり方を教えたが、それでも判断するのは常に美和子の脳でなく、シギルの脳のはずだ。それなのに、奴は俺を愛してるなどと言い出した。これは一体どういう訳だ?」
「彼女は愛する相手を求めている。それは分かるわよね。それは、心理的接触で、あらゆる相手の心を取り込んでしまう程強力なの。だから今まで、彼女は囚人として、誰とも接触せずに隔離されてきたわ」
「お前とも接触せずにか」
「そう、繋げる事は禁止されてる。シギルは今、どこまでが自分なのか判断がつかなくなってるんだと思う。でもね、野々村さん」
真紀はつばを飲み込んだ。
「ここに来て以来、彼女は他の人間にも、私にも接触しようとしてないの。これはどういう事か分かる? 彼女の精神が、あなたと大原さんによって、一つの調和を生み出しかけてるのよ」
「……それは、俺と美和子ちゃんに犠牲になれっていう事か? 冗談じゃない! そもそも美和子ちゃんの体から出てったら、俺たちの関係は、それまでのつもりだったんだ。それとも俺に、一緒に船に乗れってんじゃないだろ? スライムと仲良くできる自信は無いぞ。偽体ってのがどんな姿をしてるか知らないが、俺好みじゃない事だけは保証してやる」
「だからよ。彼女の精神の安定と、心の充足が訪れれば、彼女は一人前のノルボジナに戻れる。私のパートナーとして仕事もできるし、囚人として見張る必要もなくなる。私は彼女を治す絶好の機会だと思ってるの」
「ちょっと待て。治ったらさよならって訳にはいかないと思うぞ。奴が逃げたのは、何か別の目的があったはずだ」
真紀は少しの間うつむいていた。
「……そこが分からない所なの。あなたは何か聞いていない?」
「行くべき場所に行く途中、立ち寄っただけだと言ってた」
本当はその後、このままでいたいと衝撃発言が続いたんだが、俺は黙ってた。
「さっきの話だけど、視覚は我々の判断基準じゃないって、……私たちは、直接相手の心を見るの。心にも美醜がある。たぶん好みの問題だと思うんだけど、シギルは大原さんと野々村さんの心を見て、それに惚れたのよ。心には、我々とあなた、それほど差がないから」
心に惚れたと言われて、ひとはどんな顔をすればいいんだろう。初めての経験に、俺は自分が今、どんな表情をしてるのか、分からなくなった。
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最初に美和子と出会った時に、全ては始まっていたのだ。シギルは強烈な吸引力で、美和子の心に吸い付いたんだと思う。あるいは船から逃げ出したのも、美和子の望みをかなえたからかもしれない。その後美和子に魅かれた俺の心をのぞいて、奴はどう思ったんだろう。
「シギル、出ておいで」
俺はとんとんと寝室のドアを叩きながら、できるだけ静かな声を出した。真紀にさんざん言われて、俺はしかたなく怒りを収めた。奴は病人だ。怒ってもしょうがない。
中からは、反応がない。俺は真紀を見たが、もともとこいつが役に立つはずもない。
「……美和子ちゃん?」
そっとそう言うと、かちゃりとドアが開いた。彼女の小さな姿が、ドアの向こうに立っている。
「抱っこして、誠司さん」
俺はため息をついた。いい加減慣れてきたつもりだが、やっぱりこいつらは分からない。
「いいさ、おいで」
抱っこしてから、俺は触れてはいけないのを思い出した。ぎょっとして美和子の顔を見ると、穏やかに目をつぶっている。
「……お前、何も感じないのか?」
「さっき切り替えておきました。今は普通です」
ふーん、そうか。そんな事ができたんだ、と思いながら、彼女のさらさらの髪の匂いをかいでいると、あれ?と俺は気付いた。
「おい、ミチ。真紀がおかしくなったのは、俺が変わったからじゃないのか?」
真紀はそっぽを向いている。しらを切るつもりか、水をくんで飲み始めた。
「こら、てめえ。俺が気付かないと思ったのか。お前らの方で切り替えられるなら、なんで真紀まであんな事になったんだ!」
「あなたの方だけじゃないに決まってるでしょ。そんな事をしたら、これからあなたが触る人全部、気持ちよくなっちゃうじゃない」
「ミチを責めないで下さい。彼は、私がしたことを確かめたかったのです」
俺はそうっと美和子を降ろすと、スカートを直して、ソファに座らせた。ぽんぽんと頭をなでて、真紀の方を振り向く。
「てめえまで一緒になって、俺の足引っ張ってんじゃねえ! なに考えてんだ!」
「だから最初に謝ったじゃない。……それはあれよ、なんていうか、学術的探究心。ついでに、一度あなたと繋げて、あなたの中を見てみたいわね」
これ以上、腹の中を探られてたまるか。俺がそう言おうと思った時、先に美和子の口が叫んだ。
「ダメっ!」
俺と真紀は、振り返って美和子を見つめた。怒りの表情と、子供の駄々のような言い方に、俺たちは毒気を抜かれて、そっと見つめあった。
「……あれだな。なんにせよ、俺がこれからびくびくしないですむって分かって、良かった」
しかし、けじめというものがある。俺は真紀に美和子の隣に座るようにうながした。
「さて、お前等に言っておく事がある。今まで流されてしまったが、ここではっきりしておかなきゃならない」
二人を見渡したが、表情からは何も読み取れない。いつもの事だ。
「これからは、この家にいる限り、俺に従ってもらう。俺に報告無しの、勝手な行動は無しだ。何を言ってるか分かるな? ようやく事情が分かって、この先が気になる所だが、この際関係ない。従えないなら、ただちに縁を切って出てってくれ」
美和子が身じろぎして、何か言いかけた。その時真紀が言った。
「なんでも?」
「そう、なんでもだ」
「……めんどくさいわね……ま、分かったわ。カタ・ユロータが見つかるまでは、ここを失うのは面倒だから、あなたに従います」
「よし、シギル?」
美和子は何度か話しかけて、止まった。二人が見つめる中、やがて彼女は言った。
「今誠司さんがいなくなれば、私はどうなるか分かりません。でも、私は何もしないとは誓えません。私は自分が止められない」
俺はうなずいた。
「分かってる。だから事前に教えろと言ってるんだ。俺は今さら逃げやしない。どうしても勝手にしたいってんなら出ていけばいいが、ここにいる限り、何があってもお前を守ってやる」
「本当に?」
「ああ」
俺と美和子は長い事見つめあった。垂れた眉の下で、まつげが震えている。
「……あなたに従います、どんな事でも」
妙な雰囲気になってしまったので、俺はせきばらいをしてから、シギルが俺の体に何をしたのかを尋ねた。思った通り、彼女は俺と彼女の皮膚に手を加えて、様々な事ができるようにしたらしかった。俺の変化はゆっくりと進むので、今はまだ途中らしい。
「なんだって、こんなバカな事をしたんだ」
「誠司さんは、私が体に侵入するのを不快に感じています。だから、触れ合うだけでも繋げるようにしたかったんです。それに、前のままでは、誠司さんは何も覚えていません。だから人間の記憶にも、繋がりの記憶が残るようにしておきました」
「でもシギル、あなた、体は大丈夫なの?そんな風じゃ、あなたが死んじゃうかもしれないのよ」
「大丈夫。体を覆うのを最小限にして、なるべく静かにしています。蛋白質を大量に摂取させて下さい」
「バカヤロウ……お前、そんなにひどかったのか?」
俺が心配そうな声をかけると、美和子はにっこり笑った。子供の笑顔だ。いつの間に?
不思議なほど、体に心配は感じていなかった。初めての事だが、俺は確信していた。
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それから二日間の出来事を、俺は一生忘れられないだろう。
「あなたに従います、どんな事でも」と彼女は言った。そういう事だ。
あの後、ミチは真紀と美和子の故郷へ、俺は会社へ、そしてシギルはカタ・ユロータ探索のために町へと、外で別れた。
そうして俺と美和子は二人っきりに戻り、長い長い時間、二人で過ごした。
楽しかったと言っておこう。
明日の昼には真紀が再び訪ねてくる。二日目の深夜、俺はベッドの中で、腕の中の美和子の顔をいじりながら、意外な事を発見していた。
「なんだ? これは。変な風景がぼうっと見えてきた」
楽しそうな顔で目をつぶっていた美和子は、なんでもないように答えた。
「良かった。最後の変化が終わったんですね。これであなたにも、私の気持ちが見てもらえます」
「これがお前の心? そうか」
「何を考えてるか、分かりますか? 誠司さん」
「そんな事、言えるか」
彼女は楽しそうに、俺の裸の胸に腕を回した。ゆっくりと俺の胸から腹をなでている。指先からパチパチと快感の泡がはじけて、俺の体の中にゆっくりしみていく。
「明日、大事な話があります。忘れないで下さい」
「何の話だ? そうだ、教えないならこうやって捜してやる」
手の平で、美和子の裸体をあちこちなでながら見える風景に集中するが、まだ慣れてない俺にはよく分からない。
「修行不足ですね、私のガードは破れません。明日です。まだ時間があります」
彼女は起き上がると、「今はこのまま」と言いながら、俺の唇に自分の唇を押し付けてきた。今は性感が集中させてある彼女の舌が俺の唇を割って、俺のそれにからんでくる。すぐに激しく感じ始めた彼女の舌に自分の精液の味を感じながら、俺は小さな体を抱き寄せて、腹の上に乗せた。
こいつは文字通り、俺の事を俺以上に知っている。どこに逆らう理由などあるだろうか。
心の繋がりの世界でのセックスには限界がない。俺はそれを知った。
赤い海の中、俺は初めて翻弄されるだけでなく、自分の意思で動くすべを手に入れていた。
もっともこれまでの繋がりの中の記憶は俺にはないから、初めての体験とも言える。
広大な心理空間ともいえる中に俺はいた。それと同時に、体に感じる外部知覚も伝わってくるのを感じる。
シギルが、いや美和子が俺の体を愛撫しているのを感じる。
同時に彼女の誠意や信頼といった安らかな気持ちが、空間からしみだして俺を包んでいた。
『シギル……』
俺の体から流れ出した深い赤色の流れが、彼女の海に渦を作り出す。
やられっぱなしでいるわけにはいかない。
現実世界で、俺は小さな彼女の体をシーツに押し付けた。
喜びの黄色い筋がうねりながら現れる。
もちろん美和子ちゃんとセックスはできない。それは分かっている。
だがここでなら、どんな事も可能だった。
彼女が俺の性器に触れたがっているのが見える。性感が手に移動している。
だが俺はかまわず彼女の性器を、俺の舌でゆっくりと愛撫し始めた。
心理世界に稲光が落ちて、消えたそこに白い美和子ちゃんが現れた。
一人じゃない、二人の美和子ちゃんが抱き合っている。
きらきらとした目で俺を見つめる彼女の腕の中のもう一人の彼女は、目をつぶって眠っているようだ。
『美和子ちゃん……』
俺の中からあふれ出した複雑な色のついた流れを、美和子ちゃんは片手を離してさっとつかんだ。
すうっと腕を振ると、いくつもの色の筋に分かれた流れのほとんどを、小さな口で吸い込んでしまう。
金色の筋が残った。
彼女はそれで、腕の中の彼女を包み始めた。蜘蛛の糸に絡め取られた獲物のように包むと、金色の繭が出来上がった。
『これは私のお礼です……』
片手ほどに小さくなった繭を彼女の腹に当てると、すっと中に吸い込まれていく。
彼女の体の所々から、金色の光が放たれていた。
強引に彼女の腕を引いて、強く抱きしめる。
彼女は笑いながらするりと逃げていく。まるで関節がないみたいだ。
逃げる彼女を追いかけて、貫き、重なり合いながら、俺たちは黄色い渦の中で、現実世界での何度目かの絶頂を見ていた。
俺たち二人は、金色の輝きを優しくあやしながら、どちらかの意識が闇に落ちるその瞬間まで、愛し合った。
あの風景を語る言葉はない。直接心を繋いだ時、俺は今までの世界が、半分しか無かった事を知った。
俺がベランダでシーツを干していると、インターフォンが鳴った。ミチが再び戻ってきたらしい。彼女は黙って入ってくると、すぐに叫んだ。
「何? この臭い!」
俺と美和子はすぐに窓を開けて、換気に走った。せっかく風呂に入ったのに、これじゃなんにもならない。
二日の間に鼻が慣れきっていた俺と美和子は、全く気付かなかった。臭いとは!
開き直っていたはずなのに、初めての気恥ずかしさで、俺はしばらく真紀とも美和子とも目を合わせる事ができなかった。
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目の前に開けた素晴らしい風景と裏腹に、俺の心は暗く沈んでいた。
「野々村さん?」
振り向くと、真紀が心配そうに脇に立って見ていた。
「ん? どうしたんだ。宿は決まったのかい?」
「色々ありすぎて、決められません。値段も高そうだし」
「みいちゃんはこれがいいー!」
見ると、美和子ちゃんの手には、ごてごての装飾のどどーんとでかい洋式ホテルと、プールみたいにでっかい風呂で子供が笑っている写真が写ったパンフレットが、握られていた。
「金の心配なんかするなよ。俺が使いたくて使うんだ。みいちゃん、それはちょっと俺の好みじゃないなあ……」
目の前には、きれいに晴れ渡った海岸が続いている。ここは千葉、俺たちはここに来て真っ先に、泊まる所を決めようと旅行会社でパンフレットを片っ端から集めていた。
俺の希望は、しょぼくないくらいで落ち着いた感じのホテルだ。しかし、二人の少女に選ばせると、派手な方に選択がいきがちで、いつまでたってもまとまる気配が無かった。
ちょうど週末だ。海に行く事だけを決めて、俺たちはここまで来た。
「しょうがない、俺がいいと思うのを見せるから、それから選んでみて」
俺が予約の連絡をしにいくと、二人はまっすぐに海に向かって駆けていった。海水浴シーズンは終わったのに、全然関係ないみたいだ。
悲しい顔をしてもしょうがない。二人には、せいいっぱいの笑顔を見せてやろうと、俺は思っていた。
「おやすみなさい」とシギルは言ってくれた。
俺はしっかり繋いだ手を握りしめながら、「おやすみ」とそっけなく言った。
心は繋がれないようにブロックしている。今の気持ちを、ミチにも、シギルにも知られたくはなかった。
「愛しています、誠司さん」
「分かってるさ。俺は三分の一だ」
すぐにシギルはソファに座ったままふらふらと揺れ始める。ミチが興味深そうに尋ねた。
「なあに?三分の一って」
俺は「さあな」と言って立ち上がると、ちょっと豪華な昼飯の準備に向かった。
後ろから、元気な美和子ちゃんの声が追っかけてきた。
「うーん! おー!」と、美和子ちゃんは感心してるんだか、そうでないんだか分からない声を上げた。
差し渡し30m程の玄関に、白塗りの壁とこげ茶色の柱がコントラストを付けている。どっしりとした旅館だ。
周りは丘になっていて、杉林が迫っている。さぞや花粉症の季節は大変だろうと思いながら、俺は宿に入った。
中に入ると、純和風というわけではなくて、洋風なラウンジもあった。ようするに良くあるタイプだ。
さっそく美和子ちゃんはおみやげ屋に駆けてって、真紀は俺の側に寄り添っている。受付でサインをしながら、彼女に自由にしてていいというと、外の風景が見えるラウンジの方へ歩いていった。
俺が手続きを済ませて案内が部屋まで歩く間、二人はすごく興奮してはしゃぎ回っていた。こういう所の独特な雰囲気に呑まれて、酔ったようになっている。俺にも覚えがあった。
特にいい所とも悪い所とも言わなかったが、客が少ないのかこれが普通なのか、思ったよりりっぱな部屋に俺たちは通された。内風呂もあるし、外に面した板張りの廊下から、海が遠く見える。
ほっといても、あと30分は部屋のあらゆるものを見て回るだけで面白がってるだろう。次は旅館全体だ。迷いさえしなければ、一日中だって飽きないだろう。本当は俺もそうだ。
「お前ら、俺はちょっと用があるから好きに遊んでていいぞ。旅館の外に出なけりゃ、部屋の外も行って見てこい。ただし、迷ったら、ここの人に聞いて、すぐにこの部屋に帰って来るんだぞ」
俺は鍵を見せて、部屋の番号を覚えさせた。廊下の籐椅子に座ると、ほっとため息をつく。
俺は悩んでいた。
答えは最初から出ていたが、それでも俺はどうすべきか分からなかった。ここに来たのも、シギルの気持ちに報いるためで、俺の気持ちじゃない。もちろんミチには秘密だ。
今の真紀や美和子ちゃんに、なにか悟られるような言葉も言えない。奴らは聞いているに違いない。
海の彼方を見つめながら、俺は宇宙の彼方の事を考えていた。ビール片手で一般人が何を思うとも思うが、こうでもしないと、なにかやるせない気持ちがせりあがってくるのを感じて、俺はつらかった。
問題はたった一つだ。シギルをこれからどうすべきかという。
俺がはっと目を開けると、どかんと美和子ちゃんが俺の膝に乗ってきた。どうやらうとうとしてしまったらしい。俺が痛い痛いと言いながらどかそうとすると、ぺたぺた触って彼女が言った。
「ねー、なんで何も感じなくなったのかなあ?」
「あれは間違いだったんだよ。美和子ちゃんはあれが気になる?」
「うん! 面白かったよ」
面白いね……。俺は苦笑いを浮かべた。見ると真紀も苦笑いを浮かべている。
俺の手を両手でさすりだす彼女をほっておいて、何を見てきたと言うと、二人はマシンガンのようにしゃべり出した。
あいづちをうちながらそっと集中すると、美和子ちゃんの金色が視野いっぱいに広がって、俺は目がくらんだ。彼女の興味も好奇心も俺に対する好意も、ぼやけているが全て分かる。真紀に触れれば彼女の事も分かるだろう。
遠くでシギルの声がする。俺はそっと俺の気持ちで、美和子ちゃんの金色の繭をなでた。
「ひゃ!」
ぴんと美和子ちゃんが体を固くした。真紀は不審そうな目で俺を見た。変な所は触ってないはずだ。
「野々村さん……、ひょっとして……」
「違う違うっ、何もしてないよ! な! みいちゃん」
美和子ちゃんはとろんとした目であらぬ所を見つめてる。ころんと丸くなると、俺のふところにもぐりこんだ。
「またあれが起きたの?」
真紀はそっと俺の腕に触れながらそう言った。あれとは違う。それは確かだ。
「な? 違うだろ」
そう言いながら、俺は初めて見る真紀の心に繋げていた。そっと眺めているだけだ。思った通り、繊細で複雑な林のようなものが見えた。彼女の細い恋心が見える。先輩という言葉と繋がっているそれは、白い光を放っていた。
力を送り込むと、白い光が強くなった。これぐらいなら構わないだろう。
目を開くと、切ない顔をして、あらぬ方向を見てる真紀が目に入った。俺は少し後悔しながら、そっと言った。
「すぐに会えるさ……」
「え?」
「いや、なんでもない」
何も知らない人間を操作するのは卑怯だ。俺はもうこういう事はやめようと心に誓った。
美和子ちゃんを座布団に寝かそうとすると、「や!」と言ってしがみついてくる。俺は愛おしさを感じながらも小さな体を引きはがして、振り払うように言った。
「メシまでまだ間がある。海に行こうよ!」
俺は、初めて女性に水着を買ってやった。どうしても必要な事だった。
−29−
砂浜の海岸は遠浅で、全身海につかるには横になるか、かなり沖の方へ行かなきゃならない。俺は考えてもみなかった。予定外の事だ。
水着を着るのは何年ぶりだろう。俺は恥ずかしいのと、少し涼しいのとで、ウインドブレーカーの上にタオルを羽織っていた。
「野々村さん?」
俺はにっこりして、真紀に缶ジュースを差し出した。俺が再び物思いに入ろうとすると、隣に座った真紀が遠慮がちに尋ねてきた。地味な水色のワンピースの水着だが、スレンダーな真紀のせいで、とても爽やかな感じだ。胸は、少しだけ発達し始めてた。
「何かあったの?」
「……え? 何かってなんだい」
「目が覚めてから、野々村さんずっと変。明るかったり、暗かったり、何か言いたそうにしてたり。寝てた間に何かあったの?」
「ああ……、ありがとう。いろんな事があったんだよ。とても言えない……」
「美和子ちゃんの事?」
「え? いや、そうといやそうだが、真紀ちゃんが心配する事じゃない。大丈夫だよ」
「……子供扱いはしないでっ。そりゃ、まだ中学生だけど、私だって知りたいんだから」
「悪い……、言えないんだよ。お前が意識が無い時何が起こってるのか心配するのは良く分かる。ミチが何してたかは教えてやれるけど、聞きたい?」
うなずいた彼女に、この二日のミチの行動を教えてやった。といっても向こうで実際何があったかは聞いてない。ミチから聞いた事を話してやっただけだ。
「じゃ、船のみんなはずっと待ってるんだ。ここでこんな事してていいの?」
まったくもってその通りだが、くわしく語るわけにはいかない。ミチが聞いている。
「俺一人で捜してもしょうがないだろ。お前たちの世話もあるし。だからいっその事、パーっと遊んじゃおうと思ったんだ。だから、気にしないで楽しんでいていいんだよ。うまいもん食って、うんと遊んでおいで」
納得してない顔をしてる真紀に、俺はにやりとして言った。
「ちょっとだけ面白い事を教えてあげる。手を出して」
手を繋ぐと、俺は少しだけ感覚を操作した。心は繋がずに、皮膚感覚だけを変える。真紀はみるみる赤くなって、きゃっと手を離した。
「野々村さんのエッチ!」
俺は笑いながら言った。
「こういう事ができるようになったんだ。お前と美和子ちゃんだけだけどね」
「野々村さんにもあれが入ったの?」
「違う。シギルがやったんだ。なんだか知らないけど、俺は奴らに大切にされてるらしい。あまり役には立ちそうもない力だけどね」
「他にも何かできるの?」
「うん、まあ、色々ね。あ、あそこに屋台があるな。見に行かない?」
「あー! さっきの美和子ちゃん! あの子にもこれやったんでしょ!」
「違う違う! 美和子ちゃんにはああいうイタズラはしないよ!」
「じゃ、何したの?」
俺は立ち上がって、美和子ちゃんに合図しながら答えた。
「教えてあげてもいいけど、今晩ね。おーい!」
「カニ、カニ!」と言いながら駆けてくる美和子ちゃんを引き連れて、俺たちは屋台の方へ歩いていった。
美和子ちゃんの手には、いくつかのきれいな貝殻が握られていた。赤いフリルの付いた、白地に赤い水玉のツーピースの水着が似合っている。少し幼く見えすぎるけど、とてもかわいい。
朝まで密着していた美和子の水着姿をこうやって眺めているのに、不思議なほど肉欲は感じなかった。こうやって見ると、本当にただの子供だ。かわいくて、ぎゅっと抱きしめたくなるけど、それだけの事だ。
そっと彼女の小さな手を握って、分からないようにシギルに伝える。
『……シギル、地球の海はどうだった?』
彼女は答えなかった。お礼の気持ちだけが、かすかに伝わってくる。
美和子ちゃんは、繋いだ手をぶんぶん振りながら、屋台を楽しそうにのぞきこんでいる。香ばしい匂いが腹を刺激して、俺はすぐにシギルの事を忘れた。
布団が三つ並んでいた。
親子連れ三人という事で泊まったんだから当然だが、俺にとって、これはとてもまずい。
浴衣を着た真紀が内風呂から出てきて、すぐに俺に気付いた。
「野々村さん、気を使ってるんなら、そんなに気にしないで下さい」
混浴の露天風呂に一度入ったんだが、水着で入ってたんで、体を洗うのに、結局もう一度内風呂に入る事になった。
「そう言っても、やっぱまずいだろ? 少し離すか」
何十センチか離しても意味はないが、態度は示せる。
何を気にしてるのか全く分からないという顔をしていた美和子ちゃんが、無邪気に叫んだ。
「私、誠司さんと一緒がいいっ」
「いや、あのな、美和子ちゃん。そういうわけにゃいかんのよ」
「じゃ、真ん中に誠司さんにしましょ」
真紀が初めて名前を呼んだ。俺はちょっとうれしくなったが、すぐに真紀の顔色を伺いながら言った。
「中学生ぐらいだと、……あれだ、ふしだらな女とか思われるんじゃないのかい?」
「誠司さんはお父さん。そうなんでしょ」
「うん、そうだ。……ま、いいか」
俺は納得して、布団をめくった。隣の布団では、ごろごろとしながら布団の手触りを楽しんでいる美和子ちゃんがいる。
「ごはん、おいしかったね! 私、初めてあんなの食べたよ」
幸せそうな彼女を布団の中に入れると、ぽんぽんと叩いて、明りのスイッチに歩く。
「消すぞー。いいか?」
「ね、そういやあれ聞いてないけど、誠司さん」
「え」
「美和子ちゃんに何したかって……」
「ああ、覚えてたのか……」
しょうがない。俺は覚悟を決めて、自分の布団に戻った。
「……俺はなるべくなら教えたくないんだが、聞く覚悟はある?」
真紀はしばらく黙っていたが、やがてきいてきた。
「こわい話?」
「考えようによっては、すごく怖い話。でも、真紀ちゃんと美和子ちゃんは知る権利はあると思う」
「……教えてちょうだい」
俺はうなずいて、真面目な顔で話し出した。
「シギルとミチは、こうやって話をしないんだ。奴らは心と心を繋いで、直接相手の気持ちを見る」
美和子ちゃんが「知ってるよ! 私、見たもん」とあいづちをうった。
「俺はシギルと繋がるようになって、奴らの心を直接見てきた。それでシギルは、いつでも俺と繋げるために、俺を少し変えたんだ。今では俺は、お前たちならいつでも心を繋げるようになってる。奴らほどじゃないけどね」
「ふーん、どんな風?」
「口じゃ説明できないよ。でも、素敵な体験だった」
「私も見れるの?」
「うん、でも俺と繋ぐんだから、見えるのは自分と俺の心だけだよ。それに繋げば、お前が隠したいと思ってる事でも、俺には分かってしまう」
「それはやだ」
「だろ? だから怖いんだ。繋ぐっていう事は、相手に全部心をさらすって事だ。俺は力をもらったから、知られたくない事を守るぐらいはできるけど、お前たちは無理だ」
考え込む彼女に、俺はそっと言った。
「でも、俺は別に、君が隠したいと思ってる事を暴こうとしたいわけじゃない。俺だって大人だ。ちゃんとやっていい事と悪い事ぐらい分かる。お前の心を、実はちょっと見たんだけど、手は出してない」
「ひどい! 何を見たの!」
「具体的な事は、何も。きれいな細かい細工の林みたいだったよ。記憶はのぞいていない」
「何もしないって、約束して!」
「もちろん、これで話は終わりだ」
俺が立って、明りを消してしばらく、彼女は起き上がったまま黙っていた。「おやすみ」というと、脇に肌の暖かさが潜り込んでくるのを感じる。俺はまあいいか、と美和子ちゃんを抱えて、目をつぶった。
「……あの、誠司さん」
「……なんだい」
「一度、見せてくれない? もちろん、何もしないって約束で」
「いいよ、手を握って」
俺は布団の脇から手を出した。真紀は布団に寝て、そっと俺の手に、彼女の手を重ねた。
「みいちゃんも」と腕の中から声がした。二人と同時にできるかは、やった事がない。俺は試してみる事にした。
いつの間にか眠っていたらしい。初めての人間との繋がりは、どこか物足りない欠けた部分を感じさせて、甘い幸せの中にも塩辛い切なさの味わいが加わっていた。
−30−
なぜ、旅館の朝食には焼き魚と生卵が付いてるんだろう。普段の朝食で朝っぱらからこういうメニューを食べる習慣はないのに。
「すごいすごいすごーい!」
叫んでいるのは美和子ちゃんではない。真紀と美和子ちゃんは朝から興奮して、はしゃいでいた。
「おいおい、あんまりハマるんじゃないぞ。俺も最初はそうだったが、相手を気遣えなくなったらおしまいだからな」
「だって、すごい驚いたんだもん!あそこって空も飛べるし、なんでもできちゃう!」
「心の中だからな。さっさと食え」
俺は、少々やりすぎたかなと後悔していた。無邪気に空を飛ぶイメージに同化してる彼女たちに、それぞれの気持ちいいイメージを強化してやったのは俺だ。
爽やかな風が肌にあたる感覚や、遠い水の音、お母さんの匂いに、美しい風景。五感から入る人間のイメージは、とても分かりやすいが、その分、はっきりと個の分かれ目を見せて、溶け合い、重なり合ったシギルとの幸せな感覚を、俺に懐かしがらせた。
細胞の一つ一つまで愛でられるようなあの感覚は、まさしく彼らノルボジナならではの愛し方なのだろう。俺は、人の身でありながら違う生物の愛を垣間見た、人類初めての男だ。
「また、やってもいい?」
「だめ。あそこから先は、大人の世界だ」
快感を追求していくと、いずれは一つの所に行き着いてしまう。俺は無節操になる気はない。
「えー、……そういや、なんでみいちゃんはずっと光ってたの?」
「あれはシギルがやったんだ。みいちゃんは守られて、悪い気持ちは近づく事ができなくなってる」
真紀は、うらやましそうに美和子ちゃんを見た。彼女は、にこにこしながらもりもりとご飯を食べている。シギルのためにもたくさん食べてもらわないといけない。
「へー」と言いながら、少し変な目で俺を見てから、真紀も茶碗を持った。隠しきれるはずもないので、俺は開き直って平気な顔で生卵をかき混ぜ始めた。
笑顔の美和子ちゃんの歯の間にひらひら動く舌が見えて、俺はふっとあの日の感覚が甦った。
「馬鹿、なんで飲んじまったんだ」
「濃いのが出ましたね。あなたがこうして欲しいと私は感じました。あなたがこんな事はしてくれないだろうと思ってる事でも、私ならできます。恥ずかしいというのはありませんから」
「分かってるさ。でも飲み込まんでもいいんだよ」
俺は、美和子の髪をなでつけながらつぶやいた。なんで、この子の舌はこんなに気持ちいいんだろう。
「蛋白質の補給ができるし、シーツはどこも汚れない。その上あなたは、私になるべくいやらしくしてほしいと願っている。良い事だけではないですか」
「恥を知らないってのも、興ざめなんだがな……。少しは恥らって、抵抗してくれてもいい」
「私には、それは分かりません。かわりに、恥のせいで、とても人間にはできない事でもしてあげます。次はどうしますか?」
「……本当にいいのか?」
「その質問は意味がありません」
「よし」
俺はぐいっと彼女の頭をつかんで、俺の足の間に入れた。彼女はかわいい美和子ちゃんの顔で、にこにこと笑っていた。
確かにあの生物に恥という概念があったら、逆に進歩してなかったろう。しかし。
「いや! みいちゃん、もっとあそこで遊ぶ!」
俺は意外な所で抵抗に会っていた。当然のごとく外に行こうとする俺を、二人は繋ぎたいと引き止めたのだ。
「お昼までしかお前らはいられないんだから、体験できる事は外に行ってやろうよ。見てないとこもいっぱいあるだろ? なにも部屋の中で、寝たまま過ごさなくてもいいじゃないか」
「誠司さん、ここで色々見て回るのも、繋いで心の中で色々見て回るのも、私たちには一緒なの。だったら、面白そうな方がいいわ」
「そんなに気に入ったのかい」
「うん!」「はい」
「海で遊ぶのに未練はない? 今度目をさます時は、ここにはいないよ?」
「ある、けど、もっとあれを知りたいの」
美和子ちゃんはうっと考え込んだ。背中を真紀に叩かれて、彼女は言った。
「どっちもやりたい。でも、誠司さんといっしょがいい!」
俺は昨日、黒子の役に徹していたつもりだったが、彼女には俺がはっきり見えたらしい。
「みいちゃん、俺が見えたんだ……、どんな風に見えた?」
「誠司さん、あったかい風みたいだった。ずっといっしょで、みいちゃんをなでてたよ」
分かったんだ。真紀がまた、変な目で美和子ちゃんを見ている。
「やっぱりやめよう」と俺が言うと、二人が「イヤ!」と叫ぶ。どうしろってんだ。
美和子ちゃんはともかく、真紀の心に触るのは気疲れがする。
ここできっぱり拒否して外に出ると、俺たちの仲に溝を作りそうな気がして、強く言えなかった。
しかし、もうすぐこの関係も終わる。おれとシギルだけがそれを知っていたが、彼女たちに言うわけにはいかなかった。
ため息をついてから、俺は言った。
「……しょうがない、これで最後だよ」
俺は両手につかまる女の子を見下ろした。彼女たち二人とも、俺は愛する事はできない。俺は三分の一だ。せいいっぱいの好意で包んでやるだけだ。
俺たち三人は畳の上に川の字で寝そべった。現実感覚を失うと時間が分からなくなる。注意しながら、俺は再び二人と繋いだ。
俺は彼女たちの旅につきあって、はるか果ても見えぬ広大な空間を案内していった。
俺は優しい風になって、何度も彼女たちをなでてやった。真紀は初めて見せる爽やかなうれしい感情を俺にぶつけて、俺を戸惑わせた。
続く.