「ダブル(その四)」  Aristillus



     −19−

 俺は、色んな意味で大ピンチだった。

 あの後、例の機械を捜して、俺たち三人は朝まで駆けずり回った。俺が、レーダーのような物はないのかと訊くと、ミチはあると言った。聞くと、ここは雑多な電波や、金属機械が多くて、狭い範囲でしか判別できないという。ここは住宅地のド真ん中だ。新聞やインターネットで調べたが、何か落ちてきたというニュースは無い。後は足で捜すしかなかった。

「服を脱いで下さい。誠司さん」
「おい、ちょっと待てシギル。今はそんな事してる場合じゃない」
 朝になって仮眠しようとしてベッドに入ると、小学生の少女は服を脱ぎ散らしたまま、さらに下着を下ろした。カーテンでふさがれた薄暗い部屋で、全裸のままベッドの俺の足元に這い寄ると、パジャマの足をつかみながら、そう言った。
「時間がありません。お願いです。私と肌で触れ合って下さい」
「だからやめろって。なにもこんな所でする事はないだろ。おいミチ!」
 ベッドの下では、中学生の少女が横になって、じっとこちらを見たまま黙っている。不思議な事だが、面白がっているように、俺には見えた。
「無理矢理繋いでもいいんですよ?あなたの運動神経をブロックすれば、動けなくできます。私はしたくありませんが」
「脅迫はやめろ! おい、おい、俺は、その体を俺の手で汚したくないんだ。傷付けたくないんだよ……」
「それは嘘です」
「なんだって!?」
「私は見ました。傷付けたくないのは本当のことですが、欲望はそれとバランスを保って、確実に存在しています」
「アホウ! 人間ならそんなのは当たり前だ。不可能な事を妄想するのは、一人で解消するためでもあるんだ」
「不可能な事なのですか? 私はあなたの前にいます。あなたの愛を見ています」
 少女は、切実な様子で俺を見つめている。そう言われても、はいそうですかと言えるもんか。
「だから! その体は子供なんだよ! できないんだ!」
「方法は色々あります。私は知っていますし、経験済みです」
 俺はあの晩の事を思い出した。俺は何も覚えてないが、とんでもない事があったらしい。
「……お前、何したんだ」
「最初に、あなたの性器を私の性器に入れてみました。全く入らなくてあきらめて、次は直腸で試してみました。入りましたが、あなたにも私にも快感は無く、むしろ痛みがありました。あなたの知識では、なにか潤滑油のようなものがあればいいとしていましたが、あの場にはありませんでした」
 俺は赤くなった。目の前にいるのは、小学生の女の子だ。その口からとんでもない告白がされている。
「次に、口であなたの性器をくわえて、舐め始めると、あなたはすぐに快感を感じだしました。私には、肌を触れ合う以上の快感はありませんでしたが、あなたの快感を私も共有していたので、続けました。あなたの快感を感じながら、一番感じる場所を探していくと、あなたはすぐに精子を放出しました」
「……もういい。やめろ」
「まだ、ありますが」
 俺は強引に、足の間にいる全裸の小さな女の子を、俺の胸に抱き上げた。強く抱きしめると、涙がにじんだ目をつぶって、奴の耳にささやいた。
「こうすれば、俺の気持ちが分かるか?」
「分かりません。あなたには私の気持ちが分かるのですか」
「バカヤロウ……。これで十分なんだよ。お前の心を埋めるのに、何をすればいいのか、俺が教えてやれると思ったのか?」
 彼女は長い事黙っていた。
「……あなたと私にはとても似た所があります……怒るかもしれませんが。あなたは何かを好きになる事には熱心なのに、愛される事にまるで慣れてない。安心して下さい、私はあなたを愛します」
 全てを知って、なお奴はそう言っている。信じていないわけじゃない。俺が信じられなくなっていただけだ。
「……なぜ?」
「初めての経験でした。私の事を理解しても、私と距離を置かず、当たり前のように触れ合い、心を開いてくれたのは」
 俺はこいつらを完全に理解はできないだろうし、一緒に居続ける訳にもいかないだろう。だが奴の気持ちに、なにか答えてやりたかった。
 どうすればいいのか考えて、俺は覚悟を決めて全裸になった。布団に潜り込んで、小さな体を引き寄せる。
「このままだ。繋げてもいいが、過激な事はするな。体は動かしても、特に性器には触れるんじゃない。分かったな」
 目を合わせてから、目をつぶる。ちくりとした痛みを感じながら、眠りが訪れるのをただ待った。
 外も内も嵐だ。自分の招いた事なら、せめて平気な顔をしていよう。

 俺の眠りは不思議と安らかだった。彼女が来て以来初めてと言えるくらいだ。


−20−

「それはセンスが悪い」と彼女は言った。
 急いでるのに難癖が多い。俺は文句を言いながら、彼女の言う通り、服を買ってやった。
 私服でないと、色々都合が悪い。ミチは、その事を俺に指摘されて初めて気付いたくせに、いざ店に入るとうるさくなった。
「訳が分からん。最初から記憶を読めばいいだろうに」
「私たちには、ここのヒトが変に思うポイントは、分からないわ」
「だったらなんで、難癖をつけるんだよ」
「真紀はそう思ってるだけよ。彼女とうまくいきたいんでしょ」
 急がなければ、二人が出てきてしまう。また出費だが、俺はさして気にしなかった。
 もともと俺は浪費家ではない。プログラマーの給料はいい方だ。ケチではないが、使ってる暇も無かった。こんな時に使わないでは男がすたるだろう。
 もっとも、誰にも言えないが、美和子ちゃんに服を買って着せ替えするのは、俺の楽しみだったが。

 目覚めは驚くほどさわやかだった。体調も良く、体が軽く感じる。
 なにか長い夢を見ていた気もするが、覚えていない。美和子も、真紀も変わった様子は無かった。
 俺の体もなんともない。もしやと思ったが、布団を汚したりもしてなかった。
 そうだ、布団! もう一つ布団がないと、いけないんだった!

 俺はでかい布団をかついだまま、他の小さな荷物を彼女たちに持たすと、よたよたと家へ戻った。彼女たちの方が力は強いだろうが、この集団で、俺が一番でかい荷物を持たない訳にはいかなかった。
「大丈夫ですか。誠司さん」
 マンションの上までやっとたどりついて、ふうふう言う俺に、シギルは水を持ってきながらそう言った。
「だから私が持てばよかったのよ。どうせ私のでしょ」
「お前……、前から訊きたかったんだが、性格悪いんじゃないか。俺は……エイリアンにも、お前みたいなのがいるってのに、少し安心したよ。さぞ、真紀の方もかわいいんだろうな」
「ふふん、真紀の性格は、私とは違うに決まってるでしょ。私は一刻も早くカタ・ユロータを捜して、帰りたいだけよ。そうすりゃボートが無くても、彼を連れて行って、体だけ後で戻してもいいんだから。あんたに従うのも、それまでだわ」
「好きにしていいさ。だがな、一つ言っておくことがある」
 彼女はただ振り向いた。人間ならけげんな表情を浮かべてる所だ。
「これからは、シギルを彼と呼ばずに、彼女と呼べ。質問はするな。あと、美和子ちゃんを体なんて呼ぶな。彼女は一人の、りっぱな人間だ」
 ミチは、不思議そうに見つめている。シギルがとことこと近寄って、うれしそうに俺の腰に抱きついた。言葉は無かった。
 そろそろのはずだ。俺はシギルを引きはがすと、昼飯の支度を始めた。

 美和子ちゃんが帰ってきた。俺を見ると、不安そうに回りを見回して、すぐにソファに座る真紀を見付けた。
「あのおねえちゃん! わるいひとだ!」
 俺は思わず吹き出した。悪いと思ったが、止められない。大笑いする俺を、美和子ちゃんは不思議そうに見ながら、俺の背中に隠れた。
「ねえ、早くやっつけて!」
「よしよし、分かった。少し待っててくれ。もうすぐお姉ちゃんは、悪い人からいい人になるんだ。見ててごらん」
 俺は、機転を利かしながら、真紀が出てきたときの話しかけ方を考えていた。美和子ちゃんが先で良かった。
「みいちゃん、久しぶり。会いたかったよ。それともみいちゃんは、覚えてないかな」
「おぼえてる。せいじさん。おしごと終わったの? みいちゃん、おうちに帰っていい?」
「ごめん、シギルと一緒にがんばったんだけど、まだなんだ。みいちゃんの中で、また眠ってるよ」
 本当は、がんばったのは俺とミチで、シギルは足を引っ張っただけだが、そんなこと言う必要もない。彼女は、ぱっと明るい顔をして、俺に抱きついた。
「シギルちゃん、いた! せいじさん、またみいとあそんでくれる?」
「こらこら。しばらくじっとしてて。もうご飯だから、席につきなさい」
 俺が、美和子ちゃんの前にミートソースの皿を置いた時、真紀はふらふらし出した。
「みいちゃん、先に食べてて。見ててごらん」
 俺は、真紀の前で床に膝をついて、様子を見ながら待った。彼女は目を開くと、すぐに俺を見つめた。

「やあ。初めまして、進藤さん。俺の名前は野々村ってんだ。ご飯にしたいんだけど、君も食べる?」


     −21−

 俺は、自分の作り笑顔にはそれほど自信がない。真紀ちゃんの出方が分からないので、真面目な顔で言葉を待った。
「ここは、どこ?」
 ちらりと部屋を見回して、彼女は固い声を出した。
「東京の、俺の家だ。マンションの3階にある。なにか質問は?」
「……私、誘拐されたの?」
「違う違う」と俺は手首を振った。
「君は、俺の家へ自分で来た。ドアを壊して勝手に入ってきて、俺の風呂をのぞいたんだ」
「ウソ!」
「嘘なもんか。ドアを見てごらん」
 彼女は玄関へ行くと、カギ穴に開いた大きな穴を見て、ドアを開いた。ガムテープで外からふさいであるが、良く見れば誰にでも分かる。逃げ出すのかと思って内心あわてたが、彼女はそのままドアを閉じた。
「さっぱり訳が分からない……。もう! この前からどうなってるっていうのよ!」
「君の気持ちは分かるけど、俺は、事情を知ってる。聞きたきゃ教えてあげるけど、無理にとは言わないよ。帰りたきゃ、電車賃は俺が出してやる。どうする?」
「教えてよ! これは一体なんなの?」
「まあまあ。とにかくメシにしよう。パスタだけど、食べるだろ?メシ食いながら、話してやるよ。そうだ、彼女を紹介してやらなきゃ。」
 キッチンのテーブルに戻ると、美和子ちゃんが不審な目で、真紀を見た。口の周りは、ミートソースで赤い輪ができていた。俺は思わず吹きだしかけて、笑顔のまま彼女の顔を拭いてやった。
「美和子ちゃん、お姉ちゃんはいい人になったよ。怖がらなくていい。名前は進藤真紀ちゃんだ」
 振り向かずに、真紀に向かって、
「進藤さん。この子は大原美和子ちゃんだ。俺の名は野々村誠司。この子もお前と同じ、中にもう一人、変な奴等が入ってるんだ」
「変な奴って、何です?」
 俺はわざと無視して、席を指差すと、水をくんでコップを彼女の脇に置いた。美和子ちゃんの隣に座って、チーズを山ほどかけてから、美和子ちゃんに話しかける。
「美和子ちゃん、スパゲッティおいしい? ミートソースは好きだったか?」
「うん」と言いながら、彼女はおぼつかない手付きで、パスタをかきまぜる。
「お姉ちゃんと話があるから、食べてていいよ。この人は、君の知ってる悪いお姉ちゃんじゃないんだ。心配しなくても、大丈夫だよ」
 思い切り吸い込んで、口いっぱいに頬張ると、もぐもぐしながら真紀に言った。
「冷めるとまずいぞ。俺は食うから、訊きたい事を順に言いなさい」
「あなたにも、中になんかいるの?」
 声に嫌悪感がある。当たり前だが、どうしたもんだろう。
「俺はただの人」さらに思い切り吸い込んで、飲み込んでから、水を飲んだ。
「プログラマーをやってる。コンピュータ・プログラマーだ。お前の中にいる奴は、ミチっていう名のエイリアンだ。怖い事はない。俺は奴とさんざん話をしたんだ。お前の名前も、ミチから聞いた。この子には、シギルって名のが入っている。どっちも話せば分かる、いい奴だよ。俺は二人と友達なんだ」
「エイリアン? 宇宙人? うそー! 私、乗っ取られてたの!」
「信じるのか、信じないのかはっきりしな。そうしなきゃ、話しても無駄だ。俺の頭がおかしいと思うなら、それでもいいよ」
「信じられない! でも、なんかいるのよ。頭の中がちかちかするの」
「奴がお前に伝えてるんだよ。ミチはお前に直接話はできない。交代で出てくるんだ。落ち着いてって言っても、無理だろうから、とにかくなんか話しかけてみな。奴は答えてくれるから」
 その後は、とにかくやってみろと言って、俺は食事に専念した。彼女は、ずっと迷ってるようだったので、俺はほっておいた。強く言っても逆効果だ。あとは、ゆっくりやるしかない。

 俺は食事の終わった美和子ちゃんと一緒に、寝室に入った。彼女と話しながら、聞き耳を立てていると、真紀のぼそぼそと言う声が聞こえてきた。
 しばらくすると、食事の音が聞こえてきた。俺は満足して、美和子ちゃんを抱っこした。

 ぴょんぴょんはねる美和子ちゃんと遊んでると、真紀がそっと入り口に立って、話しかけた。
「あの……、ごちそうさま。ちょっといいですか?」
「おお、うまかったか?」
 美和子ちゃんを抱っこして、俺はキッチンに戻った。彼女に手伝って、と言いながら、後片付けを始める。皿を洗いながら、俺は言った。
「いたろ? 怖いか?」
「私、どうしたらいいんです?」
「あいつらは故郷に帰りたがってる。そうすりゃ元に戻る。それまではどうにもならないんだ」
「いつ?」
「俺にも分からない。今はあいつらと一緒に、帰るのに必要なものを捜してる所だ。これぐらい分かるだろうが、警察は役に立たない。医者ならなんとかしてくれるかもしれないが、あいつらが黙って医者にかかる訳ないしな」
 彼女は突然泣き始めた。俺はパニックになって、ミチとこの子は違うんだとあらためて思い知った。ミチは何をやってるんだ!
「おい、おい、真紀ちゃん。……心配しないで、まかせてくれないか? 長い事じゃない。君は絶対元に戻す。……俺が約束するから……」
「みいちゃんともやくそくしたよ。せいじさんはがんばってるから!す ぐだよね?」
 もらい泣きのような顔で、美和子ちゃんが言った。
「うん」
 俺は美和子ちゃんに救われて、頭を撫でてやった。強い感情が湧いて、思わずぎゅっと抱きしめる。
「きゅう」と彼女の口からこぼれた声に、これはシギルじゃないと思い出して、俺はそっと降ろすと、頭を撫でた。
 なんでだろう。シギルがいないと物足りない。美和子ちゃんがいない時は、彼女に会いたいと思っていたのに、これじゃ逆だ。

 女の子に泣かれたのは、初めてじゃなかったが、こんなに弱ったのは、生まれて初めてだ。


−22−

 こんなに忙しいのは、俺の人生でも数える程しかない。この期に及んでも、俺は会社に行く気でいた。ただし、真紀が納得してくれたらの話だ。
 昨日の今日なんで、会社は休みを取っても、それほど不思議には思われないだろう。どうせ、みんな時間にルーズな奴等ばかりだ。
「ミチには、ちょっといじわるな所があるからな。俺が後でガツンと言っておいてやるよ。そうだ、まだ疑ってるなら、ミチを、ほんのちょっとなら見る事ができるよ」
「ほんと?」
「手の平を見せてごらん」
 手の平を上向きにさせると、俺はおどけて言った。
「ミチちゃん、出番だよ!ちょっと出ておいで」
 後で奴になんか言われそうだったが、俺は無視した。
 やがて現れたモヤモヤに、真紀は驚いて手を振った。
「もう、引っ込んじゃったよ」
 手を合わせてさする彼女に、俺は優しく奴等の事を説明してやった。
「あたしもできるの? それ?」
 覗き込んでいた美和子ちゃんが、面白そうにきいた。
「美和子ちゃんにも、シギルがいるからできるよ。でも、今、あの子達は寝てるから、無理に言っても、聞いてくれないかもしれないね」
 次に、真紀に立つように言って、俺たちは彼女から少し離れた。
「さて、次だ。進藤さん、真上にジャンプしてみて」
「なんで?」
「やりゃ分かるよ。軽くでいいからね」
 彼女は軽く蹴ったように、俺には見えた。次の瞬間、ビュッという風を切る音と共に、彼女の腰が俺の顔辺りまで上昇した。すさまじいジャンプ力だ。彼女はひどく驚いていたので、俺の眼にひらりとあおられたスカートの下からパンツが見えたのに、気付かなかった。
「すごい……」
「うん、確かにすごい……」
 俺は我に帰って言った。
「どうだ? 信じるか、それともまだ信じねえか? 信じてくれるなら、あそこの服に着替えてくれないか。制服のままじゃ、俺が落ち着かない」
「……なんかいやらしい事しようとしてません?」
「バカ! お前に興味ねーよ。それは、ミチが選んで俺が買ってきたもんだ。いやなら着るな」
「ミチさんが……」
 彼女はおとなしく風呂場の脱衣所へ行って、着替え始めた。そういえば、この家は三人では狭すぎる。今晩はどうしよう。
 戻ってきた真紀は、明るい色のパンツルックで帰ってきた。どうやら気に入ったようだ。手に制服と共に携帯電話を持っていたので訊くと、家に電話したと言う。
「やばいな。ミチは、明日向こうに帰ると言ってたんだが、真紀の家に帰るのは、まだ先だろうし」
「そうなの? 私、いけない事したんでしょうか」
 真紀にはここの住所までは言ってない。しばらくは大丈夫だろう。
「……いや、当然のことだと思う。でも、明日の昼にはまたミチと交代するから、君がまっすぐ家に帰っても、面倒が起こるだけだよ」
「私、早く帰りたい」
「分かるが、俺にはどうにもならないんだ。ミチが素直に出てってくれるように、明日からがんばるから、協力してもらえないか?」
「何を?」
「美和子ちゃんの相手してやってくれ。俺はこれから仕事なんだ。そういえば、進藤さんって、中学何年生?」
「1年」
「そのぐらいって、何時ごろ寝るのかな。いや、帰る時間があるから」
「11時くらい。夜更かししなけりゃ」
「俺は10時前くらいには戻る。家に置いてあるものは自由に使っていい。食べ物も、風呂でも、お金でもなんでもね。この辺りの店の事は、美和子ちゃんに聞いてくれ。美和子ちゃんは、眠くなったらベッドに寝かしてやるんだ、着替えはあっちのタンス。お前の布団は、あっちの新品を使うといい」
「あの子って、野々村さんの何なんです?」
「お前と同じさ。ちょっと前に知り合って、友達になったんだ。聞きたきゃ、今晩教えてやろう。やっぱり巻き込まれて、シギルってのが中に入ったんだよ。でも、彼女もシギルもとってもいい奴だ。心配はいらない。さて、」
 一呼吸おいて、俺は続けた。
「俺は会社へ行きたいんだが、進藤さん、真紀ちゃんはどうする? ここに居られないって言うなら、俺は今日会社を休まなきゃいけない。時間がないんだ。早く決めてくれ」
 なるようになれ、という感じで俺は言った。やる事はやったと思う。
「……分かりました。あの、なるべく急いで戻って下さい」
 やっぱりミチとは違う、あいつはこんな殊勝な事は言わない。俺は、会社から連絡を入れると言いながら、リュックを取った。
 不安そうな顔に、思わず頭を撫でようとして、腕を引っ込めた。やばい所だ。
 美和子ちゃんの所へ走って、こっちは頭を撫でながら説明する。ぐずったが、真紀の言葉でなんとかその場を収めて、俺は会社へ向かった。

 女の子に、家から送り出されるのは気分のいいものだ。俺は初めてそれを知った。


     −23−

 10時過ぎに家に帰りついた時は、俺はよれよれになっていた。
 スケジュールに穴を開けるわけにはいかない。それほど仕事がきつい訳でもなかったが、気が散ってたまらないせいで、俺はいつもの倍は疲れていた。インターフォンを鳴らしてチェーンをはずさせると、真紀へあいさつを送りながら、俺は床に寝転んだ。
「うー、つかれた……」
 目の中で天井がゆらゆら揺れている。ようやくほっとして、息をついていると、真紀がうっ、とうつむいて泣き出した。心配だったんだろう。こんな俺でも、居ないよりは居た方がいいんだと、妙に感動しながら、俺は起き上がった。
「真紀ちゃん、心配だったか? 寂しかったのか?」
 俺がそっと座り込んだ彼女の手の甲を叩くと、彼女はぴくんとして、手の甲をみつめた。手の甲を撫でながら不思議そうな顔をしている彼女に、俺はさしあたっての心配事をぶつけた。
「美和子ちゃんは?」
「9時に寝かしました」
「そりゃ良かった。メシは?」
「コンビニでお弁当買いました。お金は戻してあります」
「よし、カンペキ! ありがとう!」
 拳をぐっと上げて、にっこり笑うと、真紀ちゃんも微笑んでくれた。この子の笑顔は初めてだ。目が大きくてかわいい。

 キッチンでコンビニの袋をがさがさやってると、美和子ちゃんが起きてきた。俺は、ぐいっと栄養ドリンクを飲み干しながら、笑顔を見せてやった。
「うーん、あー、せいじさんだ。おかえんなさーい」
「ただいま。寝てなきゃだめだろ。そういや、真紀ちゃん、お風呂は?」
「まだ入ってません。ちょっと、その、怖くて」
 その声を聞きながら、美和子ちゃんの頭を撫でて、脇からかかえるように腕を回すと、彼女の頬に手が触れた。返事をしようとした俺の手に、びくびくっとけいれんが伝わってくる。
「?」
 見下ろすと、美和子ちゃんが体をつっぱって目をつぶっている。なんともいえない、いい表情を浮かべていた。
 とっさに、シギルが帰ってきたのかと思った俺は、すぐに正面にしゃがんで、彼女の肩をつかんだ。
「シギル、シギルなのか?」
「ちがう、みいだよぉ。今、すごく気もち良かったの。せいじさんの手」
「??? え?」
「もっとー」と言って俺の手をつかむと、またピクンと彼女が小さく揺れた。
 俺の手を両手で持ってさすりだすと、すぐに頬に赤みが差した。俺は何も感じない。これは、いったい?
 その手付きがなんともいやらしいものに変わっていくのを感じて、俺はあわてて腕を引き抜いた。
「なんだ、これは……」
「あの……」
 うろたえる俺を黙って見ていた真紀は、恥ずかしそうに言った。
「私もさっき、野々村さんが手に触った時、変だったんです。なんていうか、初めての感じで、……気持ちいいって」
「……ふーむ」
 俺は腕を組んで、考えるポーズをした。むろん、これは下からつかもうと手を伸ばしてる、美和子ちゃんをかわすためだ。
「せいじさん!」
「ダメっ! 真紀ちゃん、ちょっと確かめたいんだけど、いいかな?」

 真紀はあいまいにうなずいて、俺と一緒に居間に入った。しきりを閉じて、美和子ちゃんを追い出すと、俺は苦笑いしながら話し出した。
「たぶん、シギルがなんかしたんだよ。今までと違って、お前の方まで起こったってのが分からないが、どういう事か試して見たいんだが、いいかな?」
「はい」
「ちょっとだけ触ってみるから、なんかあったら、すぐ言ってくれ」
 まず、彼女の手に触れると、「あっ!」とすぐに反応があった。
「どんな感じ?」
「あの、恥ずかしくて、言えません」
「言ってもらわないと、俺にはさっぱり分かんないよ」
「……気持ちいいんです。すごく」
「くすぐったいんじゃなくて?しびれるみたいな感じ?」
「違います……体の芯からかっかするみたいな、……その、」
 俺は、はっと事態を察して手を離した。
「ごめん」
「いえ」
 次に、今度は真紀の方から触らせると、ぴくっとしたのを見て、無言で腕を引いた。
 次に、そっと彼女の腕に触った。服の上からだ。
「これは?」
「普通です、なんとも」
 次に、俺のシャツの腕を同じように触らせたが、やっぱり答えは変わらない。
「ふむ、分かった。ありがとう」
「なんなんです?」
「俺とお前が、どこでも直接肌を触れると、快感が起こるみたいだ。たぶん、あいつらがろくでもない事をして、そうしたんだろう。……真紀ちゃん、ごめん」
 不安そうな顔で、彼女がうなずく。
「俺は二度と黙って触らないよ、約束する」
 俺はおがむように両手を合わせた。
「……それでな、美和子ちゃんと一緒に風呂に入ってくれないか。俺は君たちに触れない」
「私……、入りたくない」
「不安だろうけど、お前、昨日も風呂入ってないんだ。シャワーでいいから、入ってきなよ。分かってる、のぞきゃしないから」

 あいつら! 俺の気も知らないで!
 俺は、二人が風呂場へ消えた後、かっかしながら弁当を食べていた。
 明日からどうしたらいいんだ! いや、明日からどころか今晩からだ。美和子ちゃんを抱っこもできやしない。それにしても、シギルなら話も分かるが、なんでミチまで妙なまね、始めたんだ!
 俺は、腹からぐらぐらと煮え立つ怒りにもまれながら、真冬でもないのに手袋を探し始めた。しかし着けてみて、この作戦はあきらめた。暑いしつかみにくいし、とてもじゃないが生活はできない。

 俺は、くつろげるはずの自分の家の中で、初めて逃げ場を捜した。そんなものは無かった。


     −24−

 触れただけで女もいかすって、俺はジゴロか! そんな事を自嘲的に考えながら、俺は居間で一人、布団に寝転んでいた。
 美和子ちゃんを寝かしてから、俺は真紀とじっくり話し合った。話せば話すほど、俺は混乱していった。なんで手を貸すのか、俺自身分からなくなっていったからだ。
 腕を組んで話してたので、肩がこった。真紀ちゃんはすがるような、頼るような目で俺を見る。俺はただの男だ。特殊な力があるわけでも、才能があるわけでもない。正直、疲れて、気が弱っていた。
 いつもなら、虚勢を張ってでも胸を張って指図してる所だが、立て続けにこれでは、さすがに根性も折れる。俺は、いつもより早く、日にちが切り替わるぐらいに、明りを消した。

 居間で寝るのには、一つだけ問題があるのに俺は気付いた。夜、トイレに起きる女の子たちに、いちいち気が付く事だ。
 前にも居間でパソコンをいじりながら、先に美和子ちゃんを寝かした事があったんだから、良く知ってるはずなんだが、今、明りを消して一人でいると、いちいちドキリとする自分に腹が立っていた。
 しきりの向こうに、パタパタと小さな足音が消えて、ジャーと水を流す音が遠く聞こえる。うつらうつらしながら、俺はその音を聞いていた。

 ねっとりとした眠気から引き剥がされるように、意識が戻る。何か変だ。
 俺のパジャマの前が開いて、夜気が入り込んでくる。首の辺りをなにかがこすっている。ちっちゃな、モミジの葉のような手だ。
 ふー、ふー、と息が聞こえる。うまく動かない体を起こそうとすると、ランニングが腹からめくられた。美和子ちゃん!?
 そこにべったりと、広い面積の肌が押し付けられる感触がした。
「ん、んっ、んー!」
「み、みいちゃん!?」
 小さな腕をつかまえると、彼女のけいれんはさらに大きくなった。
 彼女の胸が、俺の肌に押し付けられていた。すべすべの、まっ平らの胸だ。どうりで、凹凸を感じなかった。
 自分で体を揺すると、「ひっ」と小さな声を上げて、パタンと俺の脇に倒れた。どうにかしようにも、手を触れられない。
 暗い中で、彼女が上だけパジャマを脱いでいるのが見えた。
 なにか、考えられない程の刺激があったらしい。面積で快感は上がるのか、彼女は失神している。まだなにも知らない彼女には、この刺激は強すぎたんだろう。

 真紀は! 真紀に気付かれたか!?
 俺はシーンとした中、しばらくじっとして、聞き耳を立てていた。
 寝室のドアは閉まっている。数時間にも感じた数秒の後、俺は美和子ちゃんを見下ろした。
 微笑んだような顔で、だらしなく口を開けて、目をつぶっている。
 興味があったんだろう。初めての感覚だ。俺にも覚えがある。初めて性器を触る快感を知った時、俺はそれがなにか知らなかった。確か中学での事だ。
 彼女は肌のどこでも、それを感じたらしい。
「シギル……、何のまねだ」
 奴は答えなかった。聞いてないはずはない。
「……俺に……彼女を……愛せと言うのか……」
 すっと美和子ちゃんのすべすべの胸を撫でる。気を失っているからか、もう反応はない。なめらかで、柔らかい肌だ。とても気持ちがいい。
 そっと、彼女の胸にキスをした。
 そのまま、パジャマを探して、着せてやる。髪が邪魔で、すごく時間がかかった。
「教えてやる。お前がやるまでもなく、俺は愛している。だから、彼女を大事にしてやるんだ」
 そっと、布団に入れてやる。寝室に戻すのは、危険だ。
「お前は間違っている」
 そう言って、彼女と離れて、布団をかける。ちょうど、最初の晩のように。
 これも戦いだ。負けるわけにはいかない。俺は目覚ましを確認して、目を閉じた。

 朝ごはんはぎこちなかった。
 俺は、美和子ちゃんにも、真紀にも、何も訊かなかった。
 美和子ちゃんは、俺の顔を見て、少し恥ずかしそうにしていた。
 真紀は、俺たち二人が一緒に寝てた事に気付いても、何も訊いてこなかった。
 結果、沈黙が支配して、明るい朝の日差しの中、俺たちはぎこちなく朝食を食べ終えた。
「さてと」「ごめんなさい」
 同時に声を出した美和子ちゃんに、俺は微笑んで、頭を撫でてやった。髪があるので、ここなら触っても大丈夫だ。
「何も言わなくていいよ。元はと言えばシギルが悪いんだから。……さてと君たち」
 俺はつとめて二人を直視しないようにしながら、言った。
「東京は始めてかい?」
「うん」「二度目」
「んじゃ、東京で行きたいとこ、ある? 俺が案内してやろう。ずっと家にいるよりは、面白いと思うんだが」
 家でじっとしていたら、また何が起きるか分からない。
 二人は考え込んだ。真紀はともかく、美和子ちゃんは良く知らないだろう。
「原宿?」自信なさそうに真紀が言うと、美和子ちゃんは「ゆうえんち!」と言った。
 年齢差が分かる発言だ。俺は面白くなって、笑った。
 原宿は、知ってても滅多に行かない。むしろ俺には苦手な場所だ。
 遊園地なら、後楽園が近い。成人してから行った事はないが、中は知っているし、年中無休だ。
 動物園とか、水族館の方が、俺たち知り合って間もない三人にはいいんじゃないかと思ったが、俺の希望は言わないでおいた。
「午前中だけだから、どっちもってわけにはいかないな。どうする?」
 真紀は、美和子ちゃんを見て、「遊園地にしましょ」と言った。俺は聞き返さなかった。年上の配慮に水を差すほど、俺は馬鹿じゃない。
 ネットで開園時間を確認して、準備を始める。と言っても、今時、水筒にお弁当もいらないが。
 俺は金だけ確認すると、電車の時間まで、はしゃぐ美和子ちゃんの話し相手になった。

 遊園地は楽しかった。ただし、遊園地は失敗だった。
 どうしても触れる機会が多くなる。俺は感じないので、うっかりして何度も彼女たちに触っては、あやまった。
 真紀の手を引いてしまった時は、さすがにうろたえた。彼女は腰からくだけて、座り込んでしまった。
 美和子ちゃんに抱っこと言われたが、さすがにこれは気付いた。
 しかし、彼女たちは気にしなかった。上気した顔で、はしゃぎながら駆けていく。俺にはどっちで興奮してるのか、しまいには区別がつかなくなった。
 どうにか家に帰りつくと、ぐったりした二人をおいて、カギの工事のための連絡をした。約束はお昼だ。
 大家にも、不動産会社にも連絡しなきゃならない。今度の事は、カギを失くして、業者に壊してもらった事にした。
 今日も、会社には遅くなりそうだ。

 シギルが帰ってきた。
 俺は有無を言わさずに、真紀ともども寝室に放り込んだ。工事の間は、じっとしてくれないと困る。
「真紀ちゃん! ごめん。シギルに聞いて!」
 そう言ってドアを閉めると、インターフォンが鳴った。
 大人数で来るかと思ったら、くたびれたおっさんが一人できた。カギを調べて、すぐに「何で壊したんです?」と訊いて来る。
 このおっさんはプロだ。下手に嘘を言うと、逆効果になる。
「俺も知らないんです。その時風呂に入ってて、騒いだらすぐに逃げちゃいました。だから、犯人も、見てないんです」
 この位ならいいだろう。奴は納得したのかどうか、カタログを出して、説明を始めた。俺は前と同じ型のを選んだ。奴はすぐに出て行って、材料を取りに行った。
 30分程で、工事は終わった。俺はその間、玄関に立ちふさがって、奥に注意がいかないようにしていた。
 正直、かなり高かった。わざわざ小さな店を選んだ俺は、黙って払うと、ご苦労様、と麦茶を渡した。世間話が好きなおっさんを、そっけなく追い払うと、俺はカギを閉めた。予備のカギは、大家と不動産会社に渡さなきゃいけない。
 窓穴からおっさんが去るのを見てから、俺は息を吸い込んだ。
「こら、シギル!! 出て来いっ! ミチ、お前も帰ってるんだろっ!!」
 長い事、二人は部屋から出てこなかった。俺は、腕を組んで待った。
 会社にいく時間だったが、やらなきゃならない事がある。
 俺は本気で怒っていた。相手が少女だろうが、エイリアンだろうが関係ない。

 初めて、俺はあいつらと対決するつもりになっていた。



続く.