「ダブル(その三)」  Aristillus



     −13−

 俺は、次の日ついに、会社を休む事になってしまった。
 すさまじい疲労感の中、俺は終日うとうとしながらベッドの中にいた。腕の中には美和子が、これもまたうとうとしながら、同じベッドにいた。
 俺の胸に手を当てながら、虚ろな目でむにゃむにゃとつぶやいてはまた目をつぶり、眠り続ける。美和子ちゃんよりも、さらに幼く見える。しかし、これはシギルだ。美和子ちゃんじゃない。
 あまりの変貌ぶりにとまどいながら、俺はベッドの中で、あの時の出来事を少しずつ思い出し始めていた。

 俺が泡立てたタオルを流していると、シギルは彼方を見つめたまま、話し出した。
「説明すると言っても、どこから話をしたらいいか、分かりません。事実だけを話しても、前提となる知識が、あなたにはありませんから」
「……そうだな、まずは、なんであの公園にいたのかを聞かしてくれ」
「それまで捕らわれていた船から、逃げてきたのです。ゲート発生器を持ち出して使ったのですが、私はこの体に慣れていなかったし、操作もうろ覚えだったので、失敗してしまいました。その結果、機械も失くして、私は命にかかわる損傷を受けてしまいました」
「そんなにひどかったのか?……それで、ゲート発生器ってなんだ?」
「私も詳しくはありませんが、あらゆる物体を遠くへ飛ばすためのものです。移動するのではなく、場所と場所をつなげて、そこに現れるのです。もちろん移動するためのボートは別にありますが、ゲート発生器が無ければ、飛行機程度の能力しかありません」
「で、その発生器はどうなったんだ?」
「分かりません。あの時、肩にかついでいたはずですが、近くにはありませんでした。どこかに飛ばされたか、私だけがここに飛ばされたかです」
「なんだかいいかげんだな。聞いてると、お前は全然詳しくないみたいだ。お前、その機械の事、知らないのか?」
「私たちの種族、ノルボジナは、機械の専門家ではありません。というより、もともと科学文明そのものが、我々とは関係がありません」
 俺は混乱した。どういうことだ?
「説明するには、歴史を語らなければなりません。長くなりますが、いいですか?」
 俺はうなずいた。
「ノルボジナと言うのは、我等が付けた名前ではありません。意味は『形のない民』、ノルブの民ということです。通称ですが、現在はそれが定着しています」
「名付けた誰かが、別にいるってのか?」
 それは後で、と言うと彼女は語り始めた。
「ノルボジナは、ここからはるか遠くの星で、発生しました。元は、海生生物に寄生する名も無い生物の一つです。彼らの体に寄生して、栄養を摂取しながら、我々の手を使ったコミュニケーションで会話し合う、知性体の一つに過ぎませんでした」
 俺は体を流しながら、ふむと言った。
「しかし、やがて我々は、彼らの脳に影響を与える事で、自由に操作する方法を発見します。目的に応じて寄生体を乗り換え、操作する技術が確立すると、我々は大きく進歩しました。そうして、生物同士を繋げる技術と強い精神を発達させていったのです」
 なるほど、彼らに必要なのは知性でも体力でもない。
「我々は、言葉によらず、道具を使わない文明を築いていきました。道具を使わないと言っても、寄生した体を様々な種に乗り換えて利用していたのですから、ある意味、これも道具と言っていいかもしれません。そうやって、我々は長い事、惑星どころか海の外の事さえ知らずに、平和に生きていたのです」
 俺は、よっと美和子の体を持ち上げると、湯船にそっと入れた。長くなりそうだ。
「しかしある日、意訳すると”青の連合”と呼ばれる異星人たちのグループが、我々の星を訪れました。我々にとって、初めての知的生物との接触です。海洋研究が目的だった彼等は、やがて我々と接触する事になりました。初めてのことでもあり、たくさんの不幸な事件の後、ようやく彼等は我々が知的生物だと気付いたのです」
 何があった、と訊くと、奴は首を振った。
「我々には、言語に関する知識はまったくありません。コミュニケーションは、困難を究めました。彼等は我々のコミュニケーションを研究しましたが、ついに言語的情報を我等に伝える方法を発見する事はできませんでした。
しかし、勇気ある我々の一人が彼らの体に入る事で、我々の方から歩み寄る可能性が発見されました。我々は言語を学び、生物を操作して発音する方法を学びました。それでようやく、彼等は我々とコミュニケーションする事ができるようになったのです」
 目を伏せながら、奴は続けた。
「良かったのか悪かったのかは分かりません。彼等は我々の心を繋げる方法を研究して、そこに彼らの利益となる可能性を見付けました。そうして、我々を連れ出し、彼らに利用するようになっていったのです」
「どんな?」
「彼等は、我々を異種族や異国間の交渉に、利用しました。心をつなぐ我々の能力は、交渉に絶大な力を発揮して、多くの貢献を残したのです」
「通訳ってことか?」
「全く違います。心と心をつなぐことは、言葉による交渉より、むしろ相手の心そのものの良し悪しを見極める事が主眼となります。言葉では何とでも言えますから。それに、言語コミュニケーションがとれない相手でも、こちらの誠意を伝える事ができます。これは、初期交渉で重要な部分です。当然、裏表のない正しき者は交渉を有利に運び、悪しき者は淘汰されていきました。その頃には我々も虜囚というよりは、特別な客人として扱われるようになっていて、我々はりっぱな仕事に誇りを持ち、連合の中で特別な存在として、大事にされる様になっていったのです」
「いい事ばっかりだったって事か。なるほど、お前の事が分かったよ」
「全然いい事ばかりではありません。交渉種族としてノルボジナの存在が確立し、有名になると、多くの者たちが我々を恐れるようになりました。表立ってではありませんが、排斥する動きも、活発になっていきました。実際の交渉の多くは、有利に運ぶために、本音や悪意を隠しておきたいものです。さらに我々が犯罪捜査にまで使われ出すと、反発はさらに強くなりました。そんな時、我々の故郷の星が、そんな者たちの誰かの手で、破壊されてしまいました。いまだに犯人は確定していません。我々は故郷を失い、現在では、様々な連合の中で、ちりぢりになりながら、細々と命脈を保っている存在になったのです」
「ちょっと聞きたいんだが、その国とか連合ってのは、星ってことか?」
「もっと多くの星を指す場合もあります。この星のように、一地域を指す事も。とにかく、こういった訳で、現在我々は連合の中で独特の地位を持ちながら、科学文明とは少し離れた存在なのです。……理解できましたか?」
 どっちにしろ、スケールのでかい話だ。
「良く分かった。その……なんていうか、同情するよ」
「ありがとう。しかし、希少な存在となったノルボジナは、どの連合でも大切にされています。前にも言いましたが、繁殖は複雑なので、一人一人バラバラにされる事も無く、最低3人一組で、チームを構成されています。ただし、外相として強い権限を与えられながら、同時に自由は与えられていません」
 そんな奴がなんで俺の家の風呂場にいるんだ。俺はその時、前に感じた疑問を思い出した。
「お前も大変なんだな……。ところで、お前って、前に聞いた三つの性の内、どれに当たるんだ?」
 奴は、少女の顔の上に、悲しみの表情を浮かべた。少なくとも俺には、そう見えた。
「……私は、普通ではありません」
「? どういう事だ?」
「日本語には、幼形成熟という言葉があります。私は、それに当たるのです」
 ゆっくりと手を差し出すと、奴は俺に触れた。俺の胸の中に入ると、しばらく目を伏せていた。
 俺は何の気なく彼女の体を受けいれていた。幼形成熟という言葉は、俺も聞いたことがある。子供の姿のまま、大人の姿にならずに、大人になる事だ。っていうことは?
「……私は、”間を繋ぐ者”に変化する時、”生み出される者”の愛を貰わないまま、飛び越えて”生み出される者”となりました。愛を求め、与えたい、与えられたいと願いながら、性器も持たず、誰からも与えられない存在になってしまったのです」
 俺がその言葉をよく理解しない内に、彼女はぴったりと、左手を俺の胸に押し当てた。
「あなたの愛を教えてください、誠司さん」
 その言葉が終わらない内に、俺の意識は真っ赤な色に覆われた。

 サイケデリックなその眺めに、俺は、初め、湯にのぼせたのかと思った。


     −14−

 俺の鼻に、栗の花のような臭いが感じられた。男なら、何度も嗅いだ事がある臭いだ。
 そうだ、これは!と思って下を見ると、倒れている美和子ちゃんの全身に、卵の白身のような半透明の粘液が散っているのが見えた。
 これは、まさか!?
 誰のと言ったって、ここには俺しか『男』はいない。
 俺がやったのか!? しかし、なぜ!?
「なんて顔してんの。あんたがやったのよ」
 静かに脇に立つ中学生は、冷静な声で、そう言った。どなられたのに、彼女の顔は無表情で、揺らぐ事は無かった。
「……お前は誰だ? なんでこうなったのか、知ってるのか?」
 俺は、ようやく全裸でだらしなく足を開いたままなのに気が付いた。股間を隠して真っ赤になるが、彼女は無表情なままだ。
「とにかく、洗ってから出てきなさい。私は、外で待っています」

 制服姿の彼女が出て行くと、俺はとにかくほっとした。
 今は、美和子ちゃんをなんとかするのが先だ。
 意識は完全に無いようで、息は速いがこちらは問題は無さそうだ。むしろ、彼女の太股の血の方が問題だろう。
 どきんどきんと、疲れきった俺の頭に脈が鳴っている音がする。覚悟を決めて、罪の意識を感じつつ幼い足をそっと開くと、血の細い流れは、彼女のぴったり閉じた亀裂から伝わっているのが見えた。
 俺は、美和子ちゃんを犯したのか!
 あまりの事に、胸が本当に痛く、苦しくなった。目の前が暗くなる。こんなつもりは無い! 俺は、何も覚えちゃいない!
 胸の中で叫んでも、目の前の事実は変わる事は無かった。

 俺は泣きながら、彼女を洗ってやった。いい年をしてとも思うが、俺の涙は止まらなかった。
 広がった髪を踏まないようにまとめて、シャワーを浴びせてやる。口の中も、助け起こしながらゆすいでやる。精液まみれの右手の指を、一本づつ洗ってやる。
 俺の股間も汚れているのに気付いたが、その時にはもう、俺は、自分が何をしたか分かっていた。

 制服の少女は、突っ立ったまま、廊下で俺を待っていた。
 正体は、察しがついている。こんな時でなければ、山ほど聞きたい事があった。
 美和子にパジャマを着せてベッドに寝かすまで、俺たちはどちらも口を開かなかった。
 疲労の余り、俺もそのまま眠り込んでしまいそうだったが、コーヒーを淹れて、喉に無理矢理一気に流し込んだ。
「飲むか?」
「できれば、ジュースか、水のがいいわ」
 黙ってジュースをついで、俺のためにもう一杯コーヒーを淹れた。
「あなたは、どこまで知ってるの?」
「お前が誰だか知らないが、中にいる奴の事なら、見たよ」
 彼女はしばらく黙った。表情が変わらないので、こういう時困る。
「私は進藤真紀。あなたは?」
「野々村誠司だ。あの子の名は知ってるんだろ。中にいる奴も。お前の中にいる奴の名前は?」
「彼に聞いたんなら、言っても意味ないのは分かってるでしょ」
「分かってる。ゆっくり言ってくれ。頭の4音分だけ」
「ミ・チ・ゴ・ラ」
「……それじゃ、お前の事はミチと呼ぶ事にする。あの子はシギルだ」
「なるほど。あなたは適応が早いのね」
「お前は敵か味方か?」
「誰に対しての? あなたのというのであれば、あなたには何も関係ないわ」
「シギルとだ」
「もちろん仲間よ。あなた、何か勘違いしてるんじゃないの?」
「奴は逃げてきた。お前は追ってきたんだろう?」
 俺は、ショックな出来事のせいで、すっかり攻撃的な態度になっていた。
「あの子、シギルを確保して、連れ戻すために来たんだけど、少し遅かったみたいね。あなたはカタ・ユロータを見なかった?」
「なんだって?」
 彼女が説明するのを聞いてると、どうやらなんとかってのは、機械の事だと分かった。知らないと答えると、奴は落胆したのか目を伏せた。
「ミチ、お前はシギルを連れ帰りに来たんだろ。俺たちがひっくり返っていた間、なんで手を出さなかったんだ?」
「カタ・ユロータの行方が分かるまでは、ただ連れ帰っても何もならないわ。彼には、私の方から繋げる事はできないの。私たちの手は、相手の手を攻撃もできるしね……。あなたにも、手出しは出来なかった。シギルのせい」
「手って、あれか、あのモヤモヤとした……」
 俺はそう言いながら、守っているつもりで、シギルに守られていた事にショックを受けた。こいつらは、俺にどうこうできる様な存在じゃない。いつの間にかすっかり同レベルで物事を考えていたが、やはり、こいつらはエイリアンだ。
「……それより、美和子ちゃんの事だが、」
 彼女の事を話すと、胸が痛くなる。
 しかし、この子に聞くしかない。さっきなにがあった、と言うと、彼女は見た事を、すらすら話し出した。



 今更ながら、ショックだった。彼女からやっていた事だが、そんな事はどうでもいい。
「その……、俺は……、彼女と……、セックスを……、」
「あなた方がセックスしたかって? 私は見て無いわ」
 俺は消え入りたくなった。
「でもね、私が調べたら、処女膜が少し破れただけで、もう再生しかかってたわ。たぶん、彼はあなたとセックスしようとして、無理だと分かって、あきらめたんじゃないかしら」
「再生だって? そんなバカな」
「シギルがやったんでしょ。無くなったんならともかく、傷なら完璧に再生できるわ」
 俺は少しほっとした。突入しようとしたかはともかく、最後まではやってないらしい。
「良かった……、ありがとう、ミチ。それで、これからの事だが……」
「安心しない事ね。私は、敵でないなんて言ってないんだから。まずは、シギルに元気になってもらわないと。ただ、今あなたと引き離すとシギルはパニックになるから、しばらくは一緒にいてもらうしかないでしょ」
「パニック?」
「当分、再起不能ってこと。あなた、さっき何か見なかった? たぶん、シギルの中であなた達は愛し合ったはずだと思うんだけど……」
「なんだって!?」
「外であんな事をしたんなら、たぶん、シギルは野々村さんの記憶を探ったはずなの。あんな小さな子が、あんな事を知ってるはず無いんだから……。あれは、あなたの記憶の中から、あなたの愛を受けようと方法を探した結果。てことは、あなたは受け入れたって事でしょ。困った事をしてくれたもんだわ」
「あれは……、俺がやらせたってのか……」
「たぶんね。でもあなたのせいじゃないわ。シギルは普通じゃないから」
 そろそろ限界だった。なにもかも忘れて眠りたい。そう言うと、彼女はいたわるように言った。

「そうね。私も初めての事ばかりで、疲れちゃった。ここで寝かしてもらいたいんだけど、構わない?」


     −15−

 寝室の方で悲鳴が響いた。
 小さな女の子の声だ。俺はすぐに事態を理解して、トイレのドアに勢いをつけて戻しながら、彼女の元に走った。
「シギル!」
「せいじさーん!」と言う声と共に、美和子が俺にかぶりついてくる。
 笑顔のまま、涙が流れている。うわうわと何かつぶやきながら俺の腰にしがみついてきた。さっぱり訳が分からない。表情がめちゃくちゃだ。ちょっとトイレに行っただけなのに、この有様だ。
 俺のズボンの前をさすりだした小さな手を引きはがすと、ベッドへ戻った。
 真紀は、その様子を興味深そうに、床の布団から、肘をついて眺めている。
「調子は戻った?」
「いや」
 俺の声はかすれていた。
「あなたの身が持たないと思って、シギルに薬を使ったんだけど、彼にはまだ早かったみたいね」
「薬って何の」
「私たちの活動を抑制する薬。他の生き物に手を入れられなくするし、頭もこうなるわ」
「手って、あれか、あのモヤモヤとした。でも早いって?」
「あなたとまだ繋がっていたいみたいね。できないもんで、一段とあなたにへばりついてきてる」
「そんな事、勝手にされてたまるか」と言いながら、俺の声にも元気が無い。
 まだ寝てなさい、と彼女は言って、俺からシギルの出現場所を聞き出すと、外へ出て行った。
 例の機械を探しにいったんだろう。そう言えば、ドアが壊れたままだ。すぐに直さないと、また困った事になる。
「おい、シギル。」
 腕の中の少女に話しかける。彼女はきょろきょろと目を動かしてる。
「色々文句を言いたいが、後にする。……早く元気になれ。あと……、今までお前を女じゃないと扱ってたが、これからは女として扱ってやることにする。それでいいんだな」
 彼女は満面の笑みを浮かべると、布団の中に沈んだ。ごそごそと動いて、俺の腰に乗ってくると、指がさわさわとズボンの隙間に入り込む感触がする。気持ち良かったが、ほっとくわけにもいかない。
 小さな体をよいしょっと引き上げて、首根っこを抱え込んで動けないようにしてから、目をつぶる。
 ただでさえ、疲れてるんだ。じっとしててくれ。
 美和子ちゃんに申し訳ない。これ以上なんかあったら、彼女になんて説明していいか分からなかった。
 そうだ、俺が好きなのは……
 考えるのをやめた。どっちにしろ不毛だ。

   夢の中で、俺は赤い海に揉まれていた。
   暖かい、血の海だ。
   もがく俺の前方、はるか彼方に、巨大な丘が見える。
   クリーム色のなだらかな丘の真ん中に、くっきりと筋が刻まれている。血は、その間から流れ出していた。
  『違う! 俺じゃない!』
   巨大な女性の秘裂から、血が、次から次へと溢れてくる。
   それは、はっきりとした女陰の形ではなく、少女のぴったり閉じた、貝殻のような性器だ。
  『すまない。 すまない! 美和子ちゃん!』
   波がとどろいて、激しく揺すぶられると、大きなうめき声と共に、丘の向こうに何かがせりあがってくる。
   黒く長い髪が散って、巨大な少女が起き上がっていった。
   目は閉じられて、口は大きく何かを叫ぶ形に開いている。
  『せいじーぃ、せいじさーあん!』
  『やめろ! 俺はここだ!』
   俺は泣きながら、叫んでいた。
   起き上がった美和子の、あぐらをかいた足の間に、俺はいた。俺に向かって大きな手が伸びてくる。
   思わず目をつぶると、激しく吹きつける風の中、暖かなぬくもりが俺を包んだ。
  『俺も愛してる! 愛してるぞ!―――を!』
   夢中で腕を広げて、つかもうとすると、彼女の小さな体が、俺の腕の中に収まるのを感じた。
   目を開けると、彼女は目を閉じたまま、眠るように俺に抱かれている。
   波一つ無い、静かな海の真ん中に、俺たちはいた。
  『だっこ? 誠司さん、だっこ?』
   彼女は、俺の首に手を回してきた。
   その時、彼女の目がゆっくりと開いた。笑顔で彼女は言った。
  『これでいいのでしょうか?』

 俺が目をさますと、ショートカットの女の子が覗き込んでいた。
 あたりはもう暗い。夜になっていた。
 見下ろすと、あごの下に少女の頭がくっついている。しっかり首に手が回っていて、暖かいが、身動きが取れない。
 体は大分回復しているみたいだ。頭もすっきりしていた。
「起きたのなら、これからの事を話し合いたいんだけど」
 相変わらず、挨拶も無い。
 シギルに比べると、くだけた話し方をする彼女だが、根本的に感情というものが、声に含まれていない。
 こいつらと付き合うのは色々大変だと思いながら、俺は首にかかった手をそっとはずした。今、シギルに起きられたら面倒だ。
 そうっと寝室を出ると、ドアを静かに閉めた。伸びをすると、ぼきぼきと背骨が鳴った。

 出る前に、そっと、初めて彼女の唇にキスをしたのは、誰にも言えない秘密だ。


     −16−

 そう、問題なのは、これからだ。
「ミチが真紀に戻るのは、いつなんだ?」
 ようやく俺は、まともな体調で奴の前に立っている。聞きたい事は沢山あったが、さしあたって俺は訊ねてみた。
「最初に会った時、シギルに合わせておいたから、明日の昼ね。真紀の面倒は見てくれるんでしょう?」
「おいおい、何考えてんだ! 美和子ちゃんだけでも問題なのに、もう一人、見知らぬ子供を預かるなんて、出来るわけないだろ」
 年の離れた見知らぬ少女二人が、おとなしく俺の家にいる訳が無い。説得しようにも、あまりにも非現実的な話で、中学生の子が納得してくれるなど、考える方がどうかしている。
「そんなもんなの? 私もこれまでさんざん伝えてみたんだけど、真紀はさっぱり相手にしてくれなくて、困っていたのよ。私の存在は分かったらしいんだけど、その先はさっぱり。空白の時間、この体を私が使ってるのが、どうしても信じられないみたい」
 もっともだ。そもそも、ミチが真紀に直接言葉をかける事ができない以上、どこまで行っても平行線だ。
「で、その後は丸一日、彼女に眠っていてもらってるの。まるっきり時間の無駄なんだけど、こうするしか私が制限を受けない方法が無くて」
「俺は反対だ、それは彼女の体だ。お前は自分の家へ帰って、彼女に体を明け渡すか、ここから出てって、どこかで勝手にするか選べ。どっちにしろ、俺の家はだめだ」
「ふーん、冷たいのね。美和子ちゃんはどうなのよ?」
「彼女は分かってくれた。期間を決めて、その間だけは、我慢してくれと説得した。必ず体からシギルを出て行かせて、家に帰してやると約束したんだ」
「知らないの? ボートが見付からないと、偽体は手に入らないの。ボートは行方不明よ」
「偽体って、代わりの体のことか?」
「そう。私たちノルボジナの為に作られた、細胞で作られた生命の無い体よ。生物のようで、実はロボットなの」
 ぞっとしたが、生きている生物を乗っ取るよりは、人道的だと思い直した。
「なんでそのボートはなくなったんだ」
「私もシギルにそれが聞きたいの。船が事故を起こしてから、行方が分からなくなってた彼にさんざん尋問したんだけど、彼は頑として答えなかったわ」
「事故?」
「この星に来たのは、元はと言えば船が事故を起こしたからなの。たぶん破壊工作されたんだと、私は思う」
「誰に? まさか!?」
「シギルは違うわ。彼は我々の囚人だったの」
 断片的で、話の全体像が見えない。俺は、混乱した頭で、事態を整理しようと考えた。
「よし、ちょっと待て。順序だって話をしてくれ。まず、船ってのは、大きいのか。何人乗ってたんだ」
「全部で7人。ノルボジナの三人と、警護員、船のドライバーと、外交官二人ね」
 ドライバーだと。まるでタクシーみたいだ。それとも、そんなにお手軽に宇宙を行き来できるって事か。
「ボートは?」
「偽体のスペアが三体と、行く先の国への献上品が少し。貨物として使っていたから、後は何もなし。小さな使節団だったから」
 俺の頭に、宇宙空間を行くボートを積んだキャンピングカーの姿が浮かんだ。当たらずと言えども遠からずだと思う。つっこみたい所がいっぱいあったが、そんな事をしてる場合じゃない。
「……それで、破壊工作っていうのは?」
「相手の国の誰かがやったんでしょ。カタ・ユロータっていう、ゲートを作る汎用機械があってね、それが狂ってたの」
 シギルがゲート発生器と呼んでたやつの事だ。
「ドライバーはしばらく気付かなくて、気付いたときは、とんでもない所まで来ていたの。自動だったし、警報は作動しなかったし。たぶん、宇宙の果てまで飛ばすつもりだったんじゃない?私たちの船のは、そんなに大型じゃないから、星図も無い様な所まで来ただけで済んだけど。」
「そのなんとかって機械は、そんなにすごいのか?」
「画期的なものよ。これさえあれば、動力が無くてもどこにでもいける。船に備え付けなくても、単品で使えるんだから」
 本当だとしたら、とんでもない事だ。どんなテクノロジーか聞きたかったが、今は我慢した。
「それでね、カタ・ユロータを直したはいいけど、現在地が分からないので使えない。で、私たちは救助を待つ事にしたんだけど、それには時間がかかる。食料や水が足りなくて、とてもじゃないけど生き残る可能性は低かったわ。長期旅行のつもりは無かったし」
「冷凍睡眠とかはないのか?」
「? ここにはそんなものがあるの?」
 ちょっと言ってみただけだ。俺は後悔しながら、手で先を促した。
「……私たちはすぐに、降りられそうな星を捜し始めたわ。調べ始めてすぐ、かなり遠くの太陽系から電波を受信して、私たちはここに文明がある事を発見してしまったの」
「で、ここで救助を待ってたってわけか」
「違うわ。未発見の文明と勝手に接触するのは禁止されてる。それで、この星の電波に気付いた外交官は、衛星軌道でここの事を調べて、報告書を作り始めたってわけ」
「のんきな奴だな。他にやる事があるんじゃないか」
「そうでもないわ。未発見の文明を発見したら、報告するのが義務になってるから。見付けた者にはとんでもない報酬と昇格が約束されるから、当然と言えるでしょう」
「それじゃ、ここにいずれ救助船が来るってのか」
「まだでしょうね。どこまで連絡できたのか、途中で、船がここに落っこちちゃったから」
「え?」
「シギルが、ボートで逃げたからよ。貨物を積んだまま、係留してあった腕をちぎって、そのまま落ちたの」
 なんだか頭が痛くなってきた。そういえば、シギルは機械の事は分からないと言ってたな。
「で、もうめちゃめちゃ。大気圏によく突入できたもんだわ。船の方は、ボートを追って、カタ・ユロータで直接地表に降りたから、少し壊れただけだけど」
「それでなんで、そのなんとかって機械まで、シギルに奪われたんだ?」
「一度捕まえたんだけど、その時はもう、シギルは美和子の体に入ってた。何も訊き出せない内に、美和子の方が出てきて、もう大変だったの」
「なるほど」
「とにかく、美和子をなんとかしなきゃならなくて、私が真紀に体を移したの。ノルボジナは特に、勝手に知性生物に接触しちゃいけないんだけど、ここには他の知性生物が見当たらないから、しょうがなかった。その時は、すぐに戻るつもりだったから、安易に選択しちゃったんだけど」
 もうだいたい何が起こったのかはわかった。俺は目頭を揉んだ。
「それで……、お前、美和子ちゃんをなんとかなだめようとしてる内に、一人では目が行き届かず目を離した隙に、なんとかってゲート発生器を盗まれて、逃げられたんじゃないのか?」
「その通りよ。残念だけど。たぶん、シギルの時間を引き伸ばしておいて、美和子の出てる時間を縮めたのね。さすがに私たちも、シギルに戻っても、美和子の演技を続けたとは、すぐには気付かなかったわ。」
 俺は深い深いため息をついた。相手がこいつらで良かった。少なくとも、俺ならシギルは逃げられなかったろう。こいつらノルボジナは、善人だ。頭はいいのだろうが、これでは相手にならない。
 正しい目的を持てば、嘘も、悪意ではなくなる。悪意を見分ける彼らは、判断基準がシンプルで、視覚や言語には頼らないのだ。だから、分からなかったんだろう。
 シギルには、目的があったんだ。何か分からないが、たぶん、とても個人的で、周りには受け入れられないような。

 俺は初めて、ミチとその仲間に同情した。たぶん、この星全てでも、初めての事だと思う。


     −17−

 やはり、飲み物だけでは体が持たない。簡単にレトルトカレーで、少し遅い夕食にする事にした。
 俺が準備をしながらこちらの事情を話す間、真紀は何の表情も浮かべず、黙って聞いていた。どうせ、奴に役に立つような話はこちらにはない。食べ始めると、カレーの匂いに誘われたのか、すぐにシギルが起きてきた。
「誠司さーん」と抱きつく美和子を見て、真紀が冷静に言った。
「野々村さん、そろそろ薬が切れるはずよ。注意して」
 俺はスプーンを置いた。
 美和子は椅子に座る俺にまたがると、べったりもたれかかって来た。彼女の唇がつぶやくように動いて、俺の腕にちくりと痛みが走る。
 俺はそっと、もう片方の手で顔を俺に向かせて、話しかけた。
「シギル、昼間俺が言った事、覚えてるだろ?」
 白いあごがうなずいたのを見て、続けた。
「人間は、簡単には、お前がやったような事はしない。俺は、俺が望むときしか、お前に答えてやれないんだ。今、俺と繋げたって、楽しくはなれないぞ。……それに、ここには彼女もいる。中の者の名前はミチだ。分かったな?」
 ちらりと彼女を見て、すぐに俺の顔に視点が戻る。
「分かりました。誠司さん」
 俺の口には微笑が浮かんでいた。腕ははずれて、自由になっていた。

「腹減ったんだろ、カレー食うか? どれがいい?」
 つとめて普通の女の子のように話しかけると、さっきと同じように袋を並べて、選ばせた。美和子は甘口を選んだ。
 ちなみに、俺は辛口で、真紀は中辛だ。
 さっさと用意してやって、俺はあらためて「いただきます」と言いながらカレーをほおばった。シギルもちゃんと言ってくれる。真紀は、不思議そうに俺たちを眺めている。
 しばらくは、無言でスプーンのかちゃかちゃという音だけが響いていた。
「不思議なものね、野々村さん。あなたはシギルをコントロールして、支配しているように見える」
「違います、ミチ。私は自分の意志で、コントロールされるのを選んだのです」
 あいかわらず、シギルの言葉は真面目で固い。元の奴に戻っている。
「あら、そんなに立派に見えたのかしら。私の目から見て、ここにいる他のヒトと、全然違いが無いと思うんだけど」
「私はこの体に入って、誠司さんと話してから、この美和子というヒトが考え、感じる事に、私を沿わせる事を学びました。その体験からして、誠司さんは信頼すべき、素敵で、カッコいいヒトだと信じます」
 俺は一人、黙って赤面した。自分の噂話をこっそり聞いているみたいだ。
「はいはい。それで、なんであんな無茶をしたの。野々村さんは嫌がったでしょう」
「最初、ヒト同士のコミュニケーションで、好意を伝えても、好意を伝えられる方法を、私は発見できませんでした。
 誠司さんからは、言葉のニュアンスや表情のコミュニケーションを、美和子さんの記憶からは、肌の触れ合いは、安心と快感のコミュニケーションである事を学びました。しかし、そこまでです。私はもっと知る必要がありました。
 言葉ではうまくできませんが、繋いでしまえば、全てを知り、与える事ができます。美和子さんの記憶では経験が足りないので、誠司さんの記憶を借りて、私の愛を与え、彼の愛を与えてもらおうとしたのです」
「それで、どうだった? 私は、あれを見たのよ」
「誠司さんは、私を……」
 限界だった。俺は大きな声で「ごちそうさま!」と言うと、水を飲みながら立ち上がった。
「この話は終わりだ。したけりゃ家の外でやれ」
「どうして? あなたも知りたいんでしょ。わざわざ、ここの言葉で話してあげてるんじゃない」
「俺が聞きたかったのは、俺が美和子ちゃんの体を傷付けたのかどうかって事だ。言い訳はしねえが、美和子ちゃんの知らないうちに、彼女の体にも、心にも傷一つ付ける気はねえ」
「美和子さんの心は知りませんが、この体はなんともありません」
「それでよしっ。いいな、ミチ」
「あなたって、ごまかす時に、態度がでかくなるのね」
「うるせえ。なんでもかんでもはっきり口にしてると、ここでは嫌われるぞ。はっきり言わない事を覚えろ。それが日本語の情緒ってもんだ」
「なるほど、分かりました」
 俺は、シギルの返事にちょっとずっこけた。

 俺は、すっかりなごやかな気分になっていたが、やがて彼女たちが謎の言語で話しだすと、たちまち不安になった。
 何を会話してるのかは、当然分からない。表情も変化しないので、話の傾向すら判別がつかない。
 ミチは尋問を再開したんだろうが、シギルは今まで何も白状していないという。それに、ボートの方はともかく、機械の方は、俺もシギルに聞いたが完全に行方不明だ。簡単にはいかないだろう。
 そこにいるのは、俺どころか人類の知らない生物二人だった。少し悲しくなって、俺は居間へ向かった。
 美和子ちゃんに早く会いたかった。
 ミチと、真紀が出てきた時の事を話したかったが、そんな雰囲気じゃ無くなっている。どっちにしろもう夜も遅い、彼女は電車では帰れない。明日の昼だ。いったいどうすりゃいいんだ。
 風呂へでも、と思った瞬間、どきんと胸が痛んだ。今日はやめておこう。

 途方に暮れるのは初めてじゃ無かったが、会った事もない中学生の扱いで悩むのは、初めてだった。


     −18−

 深夜の道を、冴えない男と長い髪の少女の二人連れがブラブラ歩いていた。親子の様にも見えるが、そうでない様にも見える。少女は子供らしくない落ち着き方で、黙って前を向いて歩いていた。
「なあ、美和子」
「なんです。誠司さん」
「お前、……なんであんな事をしたんだ?」
「あんな事って、どっちの事です」
「風呂場での事さ」
「さっきも説明したはずです」
「違う。お前がさっき言ったのは、論理的な理由だ。俺が訊いたのは、お前の気持ちの理由のことだ」
「それも、伝えたはずです。あの時の事を、覚えていないのですか?」
「ほとんど覚えていない。思い出せるのは、赤い海と、青い風景だけだ」
 なるほど、と言った後、彼女は黙ったまま歩き続けた。
「……最初に繋いだ時、私が見たのは、好奇心と好意です」
「へ? なんの話だ」
「あの時誠司さんの中に、美和子さんと、私が中に眠る美和子さんと、美和子さんの姿をした私と、粘液の塊の私がいました。それぞれの色の話です」
「色?」
「全ては、好奇心に縁取られていました。それは、当たり前の事です。あの時もっとも輝いていたのは、美和子さんと、私が中に眠る美和子さんです。美和子さんと話してたのですから、これも当然です」
「で?」
「粘液の塊の私には、好奇心だけが詰まっていました。正直、良くある事なのですが、ショックを感じました」
 彼は、黙ったまま、歩き続けた。
「いっぱいに輝く美和子さんと、少しズレるように、美和子さんの姿をした私がいました。一番輝いている美和子さんに近いせいで、その輝きはほとんど隠されていましたが、それが一番複雑な色をしているのが、私には見えたのです」
「それが、好奇心と好意ってのか?」
「さらに複雑なものです。私は美和子さんに嫉妬を感じながらも、それにすがりました。もう言いたくありませんが、私は愛したい、愛されたいという本能を残したまま、愛されず、愛せない体になっています。それが、私の行動原理の出発点になっているのです」
「……分かるが、その体はお前自身じゃない。不毛なことだ。その体であんな事しても、お前には関係が無いじゃないか」
「感覚は共有できます。私はそうしました。最初は美和子さんと、次にあなたと。あなたはあの時、繋がりの中で『美和子』さんを愛してると言ってくれました」
「覚えてない。それに、人間は実際の繋がりを求めなくても、愛するぐらいはできる。肉欲は関係ない」
「違います。言葉は難しい。……『美和子』というのは、我々全てをひっくるめた意味が含まれていました」
 彼は立ち止まった。遅れて、彼女も。
「……冗談だろ?」
「私は冗談は分かりません。あの時私は、肉欲を含めた愛だけを受け止めて、残りの純粋な好意を美和子さんへと流しました。どちらが欠けても受け止め切れませんし、一人が両方受け止めると、嘘が含まれてしまいます。その結果、私とあなたは、完璧に重なり合う事ができました。うまくいき、私はうれしくて我を忘れたようです。……これが、理由です」
「なるほど、それであの時……って、お前、なに言ってんのか分かってるのか?俺は、お前を二人いっぺんで、初めて完璧に愛せるってのか?個人としての人格はどうなるんだ!」
「私は困っています。行くべき場所に行くために立ち寄っただけなのですが、今では、このままでもいいのではないかと考えています」
 彼女は空を見上げて、続けた。
「あれは、私にとって素晴らしい体験でした……。今は、もっと、あなたと快感を共有していたい。私と衣服越しでなく、肌を触れ合って下さい。そして、できれば再び繋がる事を許して下さい」
 彼は貧血を感じてグラグラとした。おぼつかない足取りでよろよろと歩くと、彼女がそれを支えた。なにかささやいたが、外にはもれなかった。
 長い事そのままでいたが、やがて彼は、再び歩き出した。
「ウソだ。俺は絶対愛してない」とつぶやきながら、早足で歩いていく。
 後を追いかける彼女は、それでも微笑みを浮かべていた。

 俺たちが部屋へ帰ると、仲間と連絡すると言っていたミチが、黒い機械に謎の言葉で話していた。シギルと俺がコンビニで買ってきたお菓子を食べ始めると、ミチはキッチンに入ってきて、言った。
「最悪のケースを考えて、外交官たちには代謝を低下させる薬を使ってもらったわ。食料と水は現地調達できそう。でも、これ以上人間を増やすわけにはいかないから、全部私がやらないといけない」
「帰るのか?」
 俺はビールを飲みながら、うれしそうに言った。
「なにうれしそうにしてるの。あさっての事よ」
「ちょっと待て、俺の家で真紀を出すつもりか?」
「お願いします。他に手は無いの。それともずっと寝かしておく?」
 うーんと俺はうなった。思わずかたわらにいる美和子を撫でてから、はっとして手を離した。シギルは、そっと俺に寄り添って、密着しながら黙ってお菓子を食べている。
 俺はシギルの態度に困り果てながらも、嫌いにはなれないでいる。頭ではヒトではないと分かっていても、目に入る姿は美和子ちゃんのものだ。美和子ちゃんの口で好きですと言われて、悪い気分になるはずもない。
 このややこしい状況の中で、さらに真紀という重荷が増えた事に、俺は飲めない酒に頼ろうとしていた。
 真紀は寝かしておいた方が面倒がない。そうだ、美和子ちゃんの方もそうしてしまえば全く手が掛からないぞ、と思う。
 しかし、それは人間たちを無視して、勝手に物事を進めるって事だ。俺は人類の裏切り者にまで、なる気はない。
「……まったく、次から次へと無理難題持ち込みやがって。がんばってみるが、ミチも協力してくれよ」
 俺は、美和子ちゃんにやった事を、ミチにも説明してやった。
「なるほど、分かったわ。しょうがないけど、なんとかうまくやってね」
「あと、これは肝心なことだが、真紀を妙に刺激し過ぎないでくれ。微妙な年齢だからな。中学生ってのは」
「美和子さんは、違うのですか?」
「美和子ちゃんは、ほんの小学生。本当はまだ異性に興味も感じないし、体も男女差ができてない。……そういえば、こういう話をしとこうと思って、忘れてたな」
「なるほど、どうりでセックスできなかった訳ですね」
 俺はビールを吹いた。鼻に入って、すさまじく痛い。
 早く酔っ払う事だ。そうすれば忘れられる。明日も大変だ。今は足元だけを見ていよう。
 例の機械を探す事だ。そうすれば、全ては解決する。……だが、本当に?
 俺は、なにか破滅の予感めいたものを感じて、酔い切れない自分を感じた。

 酒に弱い俺がどうした事だろう。こんな事は初めてだ。



続く.